終末期患者と家族のサポート
人間の根本欲求としての人生の意味と目的
他の箇所でも書きましたが、私の最初の職業は私に格別な意義を持つ。ドイツ留学のゆえ学業期間が長かったため、職業についたのは三十代に入ってからだった。ドイツ・プロテスタント教会の牧師となるため二年間インターンを勤め、その後二千人ほどの信徒のシュタウフェンベルク市の一区画のダウブリンゲン地区の牧師として按手礼を受けた。ドイツでは牧師は公務員に準ずる地位を享受し、地区の人々の生活の精神面に責任を負う。冠婚葬祭は言うまでもなく聖職者の仕事である。誰かが入院すると病気見舞いをする。葬儀は教会で行われる。人間の命は脆い。死は避けがたい。遺族は嘆き悲しむ。すべてこれらのことは若かった私には荷が勝ちすぎることもあったが、遺族を慰め、彼らが元気を取り戻す仕事は尊いと思った。十四年間勤めた後に帰国した私には、終末期患者とその家族を随伴する学問は私の専門領域の一つとなっている。現在、私はそれをロゴセラピスト教育研修の中に組み入れて、終末期患者を慰め、遺族の悲嘆の克服を助けることを仕事の一部としている。
終末期患者の心理および精神的の痛みのケアの必要は、日本において(も)なかなか認識されなかったが、1989年、WHO(世界保健機構)の専門委員会がその報告の中でこの問題を取り上げて以来、このケアは緩和医療と結びつけられ始めている。この専門委員会は終末期患者の心理社会的、精神的痛みについて次のように言う。
「それは生きている意味や目的についての関心や懸念と関わっていることが多い。とくに人生の終末に近づいた人にとっては、自らを許すこと、他の人々との和解、価値の確認などと関連していることが多い」。(1990年『がんの痛みからの解放とパリアテイブ・ケア ― がん患者の生命へのよき支援のために ―』48頁)
上記三行は、がん患者の精神(霊)的生活において何が問題となっているかに関わる。私はそれを読んだとき、これはヴィクトール・フランクルだと思った。そこには彼によって開発されたロゴセラピーの精神が躍動しているからである。人間は終末期において特別「生きる意味や目的」に関心を持つとある。フランクルは人生の意味と目的への問いを、人間の基本欲求のなかのナンバーワンの欲求として位置づけた。人間は意味と目的に関心を持たないと、生きていけないことになっている。逝去と悲嘆緩和に取り組む人々、医療関係者や患者家族の成員や心理療法家他の援助者たちは、これを正しく評価し、注意深く、専門的に扱わなければならない。
基本欲求の枠内における三つの問題の解決
WHO専門委員会はさらに、人生の意味と目的とのかかわりで三つの問題が患者の心を独占すると言う。「自らを許す」、「他人と和解する」そして「価値を確認する」。これらのことが逝去のプロセスの中にある人々にとって問題となる。患者は意識的、無意識的に、これらの問題を片づけなければ落ち着かない。未解決の問題に直面し、ストレスに陥るかもしれない。ある程度、問題が解明され、穏当な時を過ごすかもしれない。いずれにしても、患者は家族について、病気について、人生について、死について、そして日常生活についての思いを表白するかもしれない。いま、読者は「自分を許す」「他人と和解する」「価値を確認する」というWHO専門委員会の提供する言葉を聞いてどのようなことを考えるだろう。以下、試みに私がこれらの言葉を聞き、思い浮かぶことを書いてみたい。
自分を許す:
人は元気なうちはあまりこのことを考えない。自分が公的にも私的にも何をするか、自分をどう描写するか、どう地位を改善するかなどに心を奪われがちである。自分に無理な要求を突きつけ、その囚われ人となる。できない自分、失敗する自分、不十分で、弱い自分そして達成できなかったことばかりが気になる。頑張る。これまでの人生の成果を見、残された時間のわずかであることを思い、自分に失望する。しかし、人はどこかで「終止符」を打たなければならない。できなかったことがあるとすれば、できなかったことを残す自分を受けいれる。視野が開ける。それまで見なかったことを見る。理解できなかったことを理解する。そのなかには、きっと自分を許すことも属しているかもしれない。
他人と和解する:
人間は他者を必要とする。他人が自分に関わるので、生きられるのだけれども、この関わりは必ずしも肯定的に維持できるとは限らない。関係は壊れることがある。先へ進むためには、関係ができたり、壊れたりする。これはある意味であたりまえのことなので、それをいちいち気にしていたら、生きてゆけない。できるだけ多数の人々とよい関係を保ちたい。これは人生を豊かにし、生きやすくする。だから知り合いや親戚との交わりは重要だが、しかし、近くて親しい関係もいつまでも維持できるわけではない。最終的には、別れがくる。不和の中で別れなければならないこともある。その日がとどめようもなく近づく。一人、彼岸へ行く。結局、人はみな不完全である。負い目をどう処理するか。人にも許しを請い、他人をも許す。和解する。あるいは和解とか不和が問題にならない世界の中へ入っていくかもしれない。
価値を確認する:
人はその都度、自分を支える価値を必要とする。内面的な価値がある。外面的な価値がある。常に何らかの価値を選ぶ。フランクルは興味深い価値の分類を提示した。彼によると、三種類の価値がある。創造価値、体験価値そして態度価値である。創造価値は何かを作る、何かをすることである。そのようにして何かを建てていく。能動性が問題となる。次に、フランクルは体験するという価値を挙げる。体力そして気力が減退するなら、自分のすること、できることは制限される。なにかをし、なにかを作ることを断念し、そのかわりに誰か他人が作ったもの、自然のように常にあって、その存在が尽きないものを受け取り楽しむ。他人との交わり、音楽や絵画や詩や小説などの芸術を享受することはできる。享受しようと思えば享受できるものがあり、それを享受する。そこから生きる意味と力を受け取る。フランクルによると、この体験する能力も減退することもある。その場合、このことに対する態度を決める。何かを作るとか、何かを享受する価値は問題にならず、いまやただひたすら忍耐するということ自身が価値となる。フランクルはこの態度を態度価値と呼んだ。それは最高の価値にさえなると彼は考えた。彼はこのような価値の実現は最高の価値実現の形であるとさえした。人は、もはや何かができないということからさえも、価値を引き出すことができるとした。フランクル的な見方からすると、これが「価値を確認する」ことの意味だろう。
終末期とは人間に普遍的ななにか
終末期患者の精神的苦痛をケアするとは、患者自身の側からいうと、彼らの肉体的苦痛が緩和されることによって、患者に「自分を許す」「他人と和解する」そして「価値を確認できる」環境とチャンスが与えられることである。よく考えてみると、この三つのことは、終末期のみならず、そうでないときでも人間のしていること、もしもまだしていなければこれからぜひともしなければならないことでもある。このことの確認は重要だと思う。終末期のケアとは普段していること、普段しなければならないことをすることにすぎない。ケアの任にあたる人々も、「自分を許す」ことをしているか、「他人と和解」しているか、また「価値を確認」しているかを、普段から問われる。ケアする者もどうこの言及された三つの問いへの答えとなっているか。この点において、彼は、人生そのものから審判を受ける。これはいつも考えておく必要がある。ケアするとか、ケアを受けるとかと言うことは、人間はみな平等であるという真理の一つの表れにすぎない。
患者にとっての終末期はどのような状況なのか。この世から去るまで残された時間は限られている、しかも患者はそのことを知っている。このような有限性という人間の普遍的な条件の中で、別離を意識しながら「自分を許し」「他人と和解し」そして「価値を確認する」。彼はこの課題を処理しなければならない。
終末期の患者をケアする者、ケアラーは、この有限性と移ろいやすさと別離の不安と苦悩を克服する道筋を患者とともに認識するよう努力する。人間が有限な存在でないならば、彼には自分を許したり、他人と和解したり、価値を確認することは起こり得ない。死があるから、すべてそのようなことができる。ケアラーもまた、死が生きることの限界として、生きることの根底にあることを、終末期の患者同様気づく。この真理を認識するチャンスは、実は人間に常に与えられている。このことがどの程度、ある一つの社会において自覚されているかによって、社会と人間の実質が決まると言ってよい。
ヴィクトール・フランクルはすべてこのようなことを考えていた。彼は現代ホスピスケアの先駆者、シシリー・ソンダース女史にも影響を与えた。彼女自身、フランクルのロゴセラピー的な考え方を学び知らなかったなら、彼女のホスピス運動はなかっただろうと語っている。私はこのことをドイツのマインツ大学医学部のランドルフ・オックスマン教授から聞き知った。フランクル自身、ソンダーズ女史の功績を顕彰した。
死を迎える準備教育の必要性
終末期の患者のケアについてはこんにち多くの認識が蓄積されている。私個人は、プロテスタント教会牧師として看取りを経験し、大学ではホスピスについての講義と研究をしてきたが、この仕事を通して「死を迎える準備教育」がドイツでは盛んであることを確認した。子供や青少年の宗教教育と成人教育のカリキュラムの中には「死を迎える準備教育」が入っている。特に、13歳と14歳頃の二年間の堅信礼教育は注目に値する。これは少年少女たちの社会化を助けるための教会主催の教育である。学校でも宗教教育は継続的に行われ、少年少女たちは堅信礼が終了すると社会人と認められる。これは彼らには重要な通過儀礼である。日本において、少年少女たちが社会化するあるいは精神的に一人前になるための通過儀礼はどこにあるのだろうか。私は個人的にはそう問うている。死の問題は元来、普遍人間的問題である。それは単に私的な問題ではない。青少年はそれと取り組む公の機会を奪われているように思われる。死は社会的タブーテーマとされているようであるが、私個人的には、改めて考えるべき問題だと思う。
アルフォンス・デーケン先生
私は私の修行時代に、ニーダーオルムというマインツ近郊の町に住んでいたが、ある時、隣町のゾルゲンロッホという町でカトリックの聖職者をしていたエルリンハーゲンという元上智大学の先生に出会ったことがある。知己だったニーダーオルムのプロテスタント教会の牧師さんが二人を引き合わせたのだった。イエズス会の僧侶は国際的な視野を持つことに感心した。
帰国後しばらくして、上智大学のアルフォンス・デーケン教授の講演の記録を読んだ。彼はドイツにいた頃から、「死を迎える準備教育」を教え、それを多面的に果たした人だった。彼は1997年9月、日蓮宗の宗教研究所において死の教育について「新しい死の文化を求めて」という講演をした。デーケン先生は彼の聴衆にヴィクトール・フランクルは昨日逝去したという旨の報告をしたあと講演を始めた。それは「生きがいの探求」「生と死を考える」そして「思いやりと愛に満ちたユーモア」という三部から成り立っていた。これらの章立てはフランクルからの影響を示唆していた。
フランクルは、直訳すると「人生の意味の探求」という固い表現となる用語を使ったが、デーケン先生は「人生の意味」というのを「生きがい」と訳していた。「思いやりと愛に満ちたユーモア」も、フランクルの用語の踏襲である。
デーケン先生は、講演の第二部分で「死を迎える準備教育」を論じている。私はそれまで、彼の名は聞き知っていたが、彼の書いたものを読んだことはなかった。私はこのたび彼を引用し、必要に応じて、それになにごとかを補足するにとどめたいと思う。
デーケン先生の「死を迎える準備教育」論
デーケン先生によると、死の問題を、(1)知識のレベル、(2)価値観のレベル、(3)感情のレベル、(4)技術のレベルという四つのレベルで並行して扱う必要がある。
デーケン先生は特にこの最後の技術のレベルでは何をするかを詳細に論じ、このレベルでは死の四つの側面全部を視野に収めるべきとする。それは「心理的な死」、「社会的な死」、「文化的な死」そして「肉体的な死」という現象の持つ四つの側面である。
心理的な死:
これは「患者がもう一切、生きる意欲をなくする」ことを意味する。ここでケアラーの技術とは何かと言うと、患者が「人生に生きがいを持って最後まで生き生きと生きる」ようケアすることになる。
社会的な死:
これは時の経過とともに家族や友人が患者を見舞うことがなくなり、患者がだんだんと孤独になり、結局、孤独の中でこの世を去らなければならないことである。デーケン先生は、娘や息子がだんだんと病気の父あるいは母を見舞うことが少なくなり、最後には見舞うことをやめるのは、自分もいつかはこうなるのだと思わされて恐ろしくなるからだとした。彼らは仕事が忙しいと言いわけするが、実はそれは見舞うことをやめる原因なのではないと。
文化的な死:
病院の中などに、いっさい文化的な潤いがなければ、結局それは文化的な死につながる。デーケン先生によると、病院の中というのは、延命のためにはなにかが足りない。「人間全体」を考えなければならない。デーケン先生によると、最近のホスピスの医者はしかし、「本当に素晴らしく、ただ病気だけではなく、人間全体を見ている」。これは本当にそうかと個別に検討しなければならないことだと私個人的には強く思う。この検討を絶え間なく行うために「医療と宗教との対話」が必要だが、これはなかなか難しく、おそらく将来の課題だろう。
このような心理的、社会的そして文化的な死も同時に視野に収めながら肉体の死を考える、そのような文化が必要となる。肉体の延命のみならず、心理的、社会的そして文化的延命も考えなければならない。デーケン先生はこれを可能にする技術を開発し、かつ改善し続けることが重要だとする。クオリティ・オブ・ライフという言葉が日本語化し、普及しつつあるが、デーケン先生はこれを「生命と生活の質」と訳している。「生命だけでも生活だけでもない療法の質を改善する努力が大切になる」と言う。このような意味で 死を考えることは生命と生活を考えること、死の文化を考えることは生命と生活の質の向上を考えることだと言う。このメッセージを伝えることがデーケン先生の講演の目論見だった。
クオリティ・オブ・ライフを上げるための技法
デーケン先生は技法として音楽療法、芸術療法そして読書療法を挙げた。これらの療法は患者のクオリティ・オブ・ライフを改善できるのではないかとした。私個人的にも、これは正しい見方だと思う。デーケン先生はこれらの療法から学ぶべきとした。それは確かに、知識と技能と教育を要求する。弊研究所においてもこの要求をマスターする努力をしている。私は、フランクルのロゴセラピーをコラージュ療法と結びつけるよう試みているが、フランクル自身、イメージには回復させる力が備わっていると考えた。
コラージュ制作者はすでに存在する写真や雑誌や新聞や絵その他のものから、制作者の気に入るイメージを寄せ集め、それらをふさわしい形に切り、切り集められたものを制作者の意図に従って一枚の白紙のうえに思い思いの仕方で張りつける。
制作者はこの作業の中で、彼らの価値観や感情の変化を言葉にする場合がある。制作者自身、自分の完成した作品の内容を説明する。言葉にならない「それ以上のもの」がそのまま作品の中に残り、誰かに解釈されるのを待つこともある。作品の鑑賞者はこれに注意を向け、制作者の作品に即して制作者が半意識や無意識において表現すると思われるものの意味を明るみにもたらすことができる。
このことは、コラージュ制作者にものの考え方、感じ方を吟味し、場合によればそれを変えるように強いるかもしれない。彼はそれまで気づかなかった自分の考え方および感じ方の癖に気づく。制作者は、彼の心象世界を再構築するよう強いられる。これは当該者の心理的、精神的成長の機会となる。
コラージュ作品の中にあるイメージあるいはイメージの連鎖がおかれるなら、それは偶然ではない。コラージュ作品が制作者以外の者によって鑑賞され、評価されることは不可欠となる。日本においてはこれまで、ロゴセラピーが人間の表象能力との関連で解釈され得ることは指摘されたことはなかった。それを指摘し、ロゴセラピスト養成の実践演習の必須科目と見なすことは、日本においては多分弊研究所が初めてだろう。
最後にユーモアについて
『夜と霧』によると、フランクルは強制収容所に収容されて二日後に、それを生き延びられることを確信した形跡がある。彼は、人間には好奇心とユーモアがあり、感情の指示に従いさえすれば、何とかなると考えた。彼は「第二段階 収容所生活」の箇所に書く、「ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために人間という存在に備わっている何かなのだ」(池田訳)と。ドイツ・ロゴセラピー&実存分析協会は2012年の開設三十年祝賀記念の総合テーマとしてユーモアを選んだが、その報告書を読むと、ロゴセラピストたちがユーモアの能力を、いかによく療法ツールとして維持してきたかを理解する。
デーケン先生もフランクルに接続しながら、次のように言う、
「もう時間になりました。最後にドイツで一番有名なユーモアの定義は、『Humor ist, wenn man trotzdem lacht』(ユーモアとは、『にもかかわらず』笑うことである)ということです。ユーモアとは、『にもかかわらず』笑うことであるの意味は、私はいま苦しんでいますけれども、この苦しみ『にもかかわらず』、相手にたいする思いやりとして笑顔を示す、ということです。それは相手に対する思いやりのユーモアです」と。
「相手に対する思いやり」としてのユーモア!これはユーモアの一つの注目すべき定義である。なぜなら、フランクルは上記引用の中でユーモアを「自分を見失わないための魂の武器」あるいは「周囲から距離をとり、打ちひしがれないための」「武器」としたのに対して、デーンケン先生はいま、全く逆に、「相手に対する思いやり」としてのユーモアを対置するからである。自己保持のために闘う武器としてのユーモアよりも、相手に対する思いやりとしてのユーモアのほうが、たぶんよい。私はデーケン先生がこの違いを意識しながら、「相手に対する思いやり」としてのユーモアに言及したかどうかわからない。自己保持のための武器としてのユーモアなど全く念頭に置いていなかった可能性もある。しかし、思いやりとしてのユーモアと、武器としてのユーモアの両者を対立させながら議論することはあまり意味がないかもしれない。それらは同一人間が状況に応じて使うユーモアの二つの相と理解されるべきかもしれない。
コーネリア・シェンク女史はロゴセラピストだが、彼女はドイツ・ロゴセラピー&実存分析協会の開設三十周年記念の時、「…trozdem lachen. Humor in gluecksfernen Zeiten」という講演をした。これを訳すと、「… にもかかわらず笑う。幸福の遠い時におけるユーモア」となる。彼女は「武器としてのユーモア」「生命感としてのユーモア」「人間愛としてのユーモア」そして「価値を響かせる」などを論じたあと、「微笑んで別れる」ことを語った。
「そして私はかつて最後の微笑みを見たことがある。死に逝こうとする者は彼の妻の頭を彼の両手の中にとり、それを自分の方へ引き寄せた。体力は弱すぎて、彼は語れなかった。しかし、彼は彼女の顔に滑り落ちた髪の房に息を吹きかけた。妻は、彼に言った、『何をしているの、私にいたずらでもしているの?』」と。すると、彼はうなずきそしてある内的な微笑みを湛え彼女を見つめた。そして息絶えた。死に直面しての最後の微笑み、それは愛する妻に与えられた。人は、世の中のどのユーモアも人間を命に結びつけることはできないことを知っている。それにもかかわらず(最後の)微笑みのための理由を見つける。ユーモアと自己放棄は、道の終わりで、一つとなり、形而上学的次元に触れる。」
これはシェンク女史の父と母との間の物語である。フランクルはユーモアと、環境と戦う武器との一致を語ったが、シェンク女史はそれとは対照的にユーモアと自己放棄が一つとなる瞬間の証人となった。その意味で彼女は、「生きそして笑う」と名づけられたドイツ・ロゴセラピー協会存立三十周年の記念講演の中で、彼女の父の最後の瞬間と彼のユーモアとの結びつきを語った。これは何か偉大なことである。シェンク女史の講演はすでに引用されたアルフォンス・デーケン先生の言葉につながる。
「私はいま苦しんでいますけれども、この苦しみ『にもかかわらず』、相手に対する思いやりとして笑顔を示すということです。それは相手に対する思いやりのユーモアです。」
ユーモアは本当に奥深い人間の営みです。それは死の苦しみに逆らい、死の中に入っていく、そして死を超える営みです。このすべては相手を思う、相手を愛することの中での出来事となっている。
仙台 2014年6月7日
追記
ご要望に応じて、終末期患者とその家族のためのカウンセリングをしております。料金はご相談に応じます。
日本ロゴセラピー&実存分析研究所
所長 安井 猛(PhD)、教授