新潟素行会フォーラム
「心の力を信じて」に寄せて

2011年7月9日(土)13:00〜18:00

新潟素行会フォーラムで講演をするようお招きいただきましてフォーラム主催者の皆さまに心から感謝申し上げます。

ヴィクト−ル・E・フランクルのロゴセラピーという心理療法について何事かをお話しするようにとのことですが、私はこの課題をどのように消化すべきかを考えてみました。そうしますと、やはり東日本大震災と福島原子力発電所の事故とのかかわりがこの講演の切り口になるのではないかと考えました。

ここ4カ月ほど、私たち日本人はこの2つの出来事をどう受け止め、どう前に進むかを考え続けて来ました。私自身も職場である大学での講義や研究においてこれらの出来事をどう消化するか、そしてまた研究所におけるロゴセラピスト教育研修の中で心理療法を日本人が今立ち直るためにどう使っていくかを考えながら仕事をしております。そこで私は今日、フランクルの開発したロゴセラピーという心理療法の基本的な考え方を東日本大震災、原発事故とその後の問題との関連で描写してみたいと思いました。まず、大震災と原発事故についての私の理解の仕方を述べた後、フランクルのロゴセラピーはいまのこの時、どのように有効性を発揮するかをお話ししたいと思います。

1章 東日本大震災、原発事故とその後

マグニチュード9強の地震は青森、岩手、宮城から茨城、千葉にいたる太平洋沿岸の漁業、農業、産業および諸々の市町村住民の生活に壊滅的被害を与えました。死者、行方不明者の数は合わせて7月7日現在で22.598人に登ります。現在もなお避難所に住んでおられる方々がおられ、子どもたちの学校生活は著しく制限されております。屋外の施設やグランドは放射能の問題があります。加えて一部は修理中、一部は仮設住宅の建設のため使用不可能になっております。

原発事故は大震災の恐ろしい結果の1つです。それはレベル7でチェルノブイルに匹敵する破壊力を持つ事故、世界の最大規模のそれでした。この事故は津波と地震とは全く質を異にする性格を持っております。国民の想像力は最初のころ、驚きと恐れの故にこの出来事についていくことはできませんでした。多くの方々の注意は福島第1原発周辺の20キロ、30キロの地域の放射能汚染に向かっただけだったのではないでしょうか。その地域の住民、精々福島県の人々の被害状況はどうか、政府が彼らのためにどのようなことをしているか、あるいはしていないかだけに気を取られたのではないでしょうか。福島の原発事故被災者と県民の皆様そして家畜たちは他の地域とは比べものにならないほどの被害を受けたのですが、それを理解し始めるために相当時間がかかりました。これは1つにはテレビ、ラジオの報道がほとんど全く役に立たなかったこと、その背後には東京電力も日本政府も情報を極端に制限したことが挙げられます。このことは事故後、外国から支援のために来日した様々な組織の方々そしてジャーナリスト達によって報道されました。その後、国際原子エネルギー機関、IAEAの指摘も情報の制限がいかに間違いであり、有害であったかを確認しております。それからしばらくたったいまも、報道されてしかるべくして報道されなかった重大情報が小出しにされるだけです。国民、とくに福島県民は情報の不足から自分達をどのように放射能の被害から守るかについて心細い状態にあります。いま重要なことは放射能の拡散状況が常に、同時的に報道される体制がとられることですが、これはいまだ達成されておりません。国民は情報を、国内の一部の良心的な科学者たちと外国のメデイアを通してかろうじて知ることができるだけであります。

東京電力も日本政府も福島原発事故は天災ではなく、人災であることを公言しています。これから産業の復興および再建が進捗することが望まれます。エネルギーの確保のため節電が呼び掛けられておりますが、この根拠が本当であるかどうかはよく分からない、あるいは信じられていない部もあります。長期的なエネルギー政策と原発の再稼働を巡る問題もあり、一言で言いますと、国民は不安の中におり、市民生活、職業生活、家庭および学校生活の正常化が望まれます。この間、放射能汚染地域が拡大しており、所謂ホットスポットは、東京以西は神奈川、静岡を超えて愛知まで達しています。東の方でも東北地方の全体、部分的には北海道に及んでおります。私の住む宮城県について言えば、全県の牧場の草が汚染されているので、牛に食べさせてはいけないことになっております。私の大学でも今月12日にキャンパスの幾つかの場所で放射線量を測定すると聞いております。このようにして私たちは、日本全土とそれを取り囲む海が放射能で汚染される可能性に直面しております。

私の妻は毎日、インターネットで、特にヨーロッパから届く信頼できる筋からのシミュレーションを集めております。彼女は1歳のとき、広島で間接被爆しており、被爆者手帳を持っております。彼女はまだ小さな子どものころ、近所の人々が1人またひとりと亡くなっていくのを見聞きしました。被爆者登録をしておりますので、彼女の身体が今に至るまで管理され続けていることを経験しております。先だって、尿検査を受けた福島の10人の子どもたち全員からセシウムが見つかったという情報を聞いて、自分も子どもの頃同じ検査を受けたといい、その頃のことを思い出しておりました。私自身もドイツ滞在の頃、3,500キロメートル、すなわち日本列島の長さほど離れた(!)町で、チェルノブイリ原発事故による放射能を経験し、当時住んでいた家の庭の土を3センチほど削り、その後、リンゴやトマトに異常を認めた経験があります。加えて、私の当時の家主さんが私たちの町の近くのビブリスという町における原発事故による被爆の後、20年ほどしてその後遺症の癌で亡くなったことを見ております。原発事故は恐ろしいと思いました。福島の原発事故の恐ろしさは私の皮膚の下まで入りこんでおります。原発事故の後間もなく、この事故による被害を考慮に入れると、癌による死亡率は確かに上がるけれども、それほど上がるわけではないといい回った学者先生達がおり、少なからぬ人々はそれが事故の影響力を軽減化しようとする必死の、しかし空しい誤魔化しにすぎないことを思い、彼らの厚かましさに唖然としたのではないでしょうか。そんなことが問題になっているのではないのです。

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2章 ロゴセラピー的応答

私は仙台のロゴセラピー研究所において市民のために「東日本大震災から元気を回復する会」を、毎月一回提供しております。私はこのことを心理療法家としての私の社会的責任だと考えております。6月末に行われた会の参加者たちは、それぞれの震災経験、被害の状況そして自らの援助活動をお話しいたしました。私も被災後、妻と共に企てた2度の避難を報告しました。私たちに震災で物理的被害があったのではありませんが、ただ、福島第1原発の事故のあと、身体的症状が出てくるほどのストレスがたまったので、大学の入学式が1と月延期になったこともあって北海道の弟家族のところに避難させてもらいました。これは私の妻と私自身にとってありがたい時となりました。距離を保つことによって身体も楽になり、冷静にこの大震災と原発事故を眺めることが出来ました。

私は皆さんにその時私の考えたことをお話ししたいと思います。大震災と原発事故のあと少なからぬドイツの知り合いが安否を尋ねる電話をくれました。ドイツでの報道はひどいものだったらしく、日本列島がいまにも太平洋の中に沈むかのような印象をかの地の人々に遺したらしいのです。なかにはそれを憂えて、私をドイツに来るよう招いたロゴセラピスト仲間たちもいました。私の娘はドイツに住んでおりますが、彼女も聖書の黙示録が世の終わりに来るという破滅と同じようなそれが起こっていると想像したらしいのです。私が彼女に事実を説明しますと、彼女は、安心はしました。しかし、私は北海道でのしばらくの滞在のあと妻と共に仙台に帰り、これまでどおり名取の大学で仕事を続行するといいました。彼女はそのことを心配したらしく、それでは放射能が充満している場所へ戻るのかといいます。そうだ、と答えると、彼女はこの答えに納得がいかないようで、「なぜ放射能のあると分かっているところへ行くのだ?」と尋ねます。私は彼女の、妻と私に関する心配を察して、「大丈夫だよ」といって、そのわけを話しました。このわけに含まれている論理は私にはまさにロゴセラピーそのものであると思われますので、それをここに説明したいと思います。私は娘におよそ次のようにいいました。

「行動心理学でパブロフの理論があるだろう。動物に一定の刺激を与えると、それはいつも同じ反応を示すというあれ。行動心理学では、それを人間にもあてはめて、人間も一定の刺激を与えられると、直接的に一定の反応を示すのだとされる。しかし、それは間違っているのだ。人間の場合は、刺激と反応の間には広大な空間がある、両者の間には深い溝が横たわっていて、そこにおいては人間の精神による選択の自由が働くのだ。避けがたく、変えがたい事実に直面して、人間はまさにこの選択の自由を行使する。自分が直面する当のものが変わらないのならそれにかかわる当の自分自身を変える。そのことによって問題を克服する、次のステップに行く、だから何にも心配はいらないのだ」

娘とこのような会話を交わしましたが、私はそうすることができて良かったと思っております。変えられない困難な状況に直面してどのようにそれを克服するか?という問いは実は、ヴィクトール・フランクルの問いなのでした。彼は彼の強制収容所体験に関する有名な本、『夜と霧』の中で強制収容所に到着するまでと、強制修湯尾所において強制労働に服する間と、強制収容所から解放された後の物語を記しております。強制収容所に入って間もなく、彼はいたるところ鉄条網が張り巡らされているのを見ました。彼は仲間の囚人が絶望のあまり鉄条網に走り、自殺することを目撃もしたのですが、彼はその時、自分は鉄条網に走るもとはすまいと誓いました。彼はこのような誓いは彼の「ある世界観を踏まえた基本姿勢から発する」と考え、その世界観がどのような世界観であるかを示しました。私は1年ちょっと前、フランクルに関するエッセイの中で『夜と霧』のその個所について次のように書いています。引用してみます。

― フランクルは変えられない状況からは逃げないことだといった。状況を変えることができないなら、それに直面することができること自体を功績と見做し、ただひたすら苦しむこと、苦しむことによって苦しみを超えることは良いことなのだといった。『苦悩という情動は、それについて明晰判明に表情した途端、苦悩であることをやめる』(スピノザ)フランクルはこのような意味で価値を実現することを「態度することの価値」の実現と呼んだ、その価値を実現しながら、未来に何者かが、あるいは何ごとかが待つことに希望をつなぐことができるとした。彼は仲間の被収容者達が自分を放棄しないで希望を維持するために『精神の教導』、つまり語りかけを行った。彼は出口のないと思われる状況においても次の瞬間に何が起こるかさえ分からないのだから、投げやりになるな、希望を保てといった。苦渋に満ちた現在だが、未来は未定で在るし、暗い日々を照らしてくれる過去からの光もあると。彼は生きることを意味で満たす様々な可能性を語った。『人間が生きることには、常に、どんな状況でも、意味がある。この存在することの意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をも含むのだ』フランクルは犠牲にも意味はあるのだと言った。この基本姿勢のゆえに『鉄条網に走る』ことは必要ないのだった ―

『滝沢克己を語る』春風社2010(230頁〜231頁)

3月11日の出来事のあと、ヴィクトール・E・フランクルのロゴセラピーの考えが幾つかの方面からマスコミによって取り上げられたように記憶いたします。彼の『夜と霧』という本は多くに人たちによって読まれ、それを読んだ人たちはその時々の要求に従って、この本を紐解き、勇気を得るのですね。いま、私がしばらく前に書いた文章を読み返しますと、確かに、フランクルが東日本大震災と福島第一原発事故後も引用された理由はよく分かります。

「人間が生きることには、常に、どんな状況でも、意味がある。この存在することの意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をも含むのだ」

ヴィクトール・フランクルはこのように書きました。この言葉は確かに、ナチスドイツの強制収容所の中の苦悩に満ちた人間の姿との関わりで出てきた言葉です。祖に意味では特殊な、歴史的に一回限りの出来事に関する言葉です。しかし、それはそのようなものとして同時に出口のないすべての人間の状況との関連で語られ、理解される言葉でもあります。それはすべての人間の悲惨と苦しみと死において、記憶されるべき言葉です。生きることは「苦しむことと死ぬことを含む」誰がこれを否定できるだろうか。これはどうしても否定できないことなのです。私は思うのですが、この否定できないことを否定しようとするかわりに、まさにこの否定できないことを認めることによって、その否定できないことの中に含まれている力、真理の力をわれわれ自身の味方にすることが必要です。そしてそれはできます。フランクルはこのような生き方の選択を「態度する価値の実現」と呼びました。

フランクルは逆境ではなく順境の中にいる人間が仕事をし、生産活動をすることを「創造価値を実現すること」と名づけました。彼はさらに、自然の美しさ、詩と音楽と芸術を鑑賞すること、異性を愛し、交わること、また敬虔な人であれば神様を信ずる、礼拝することなど、すでにあるものを享受することを「体験価値の実現」と名づけました。フランクルによると、これらの「創造する価値の実現」「体験する価値の実現」は先ほどあげた「態度する価値の実現」と並んで、生きる意味の実現への3つの通路であるとされます。態度するという価値は勿論、すでに創造する価値と体験する価値にも付属し得ますが、フランクルはそれを3つの価値のうちでもっとも貴重な価値とだと考えました。

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3章 福島とチェルノブイリと

チェルノブイリの原発被災地の人々は、東北の被災地を訪れて、被災者たちを見舞ってくれました。私は報道を通してそれをみて「有難いことだな、親切な人々だな」と思いました。その中の1人は被爆した時はまだ小さな子供だったといっておりました。いまは元気で看護師をしているとのことでした。もう1つのテレビの情報によりますと、チェルノブイリの人々は緩やかで落ち着いた生活をしている様子でした。母親と子供達が映像に映っておりました。母親はどこかから野菜とミルクをもらったのですが、それが放射能に汚染されているかどうか分からないので町役場のしかるべき部署で野菜の1つ1つ、そしてミルクを放射能測定器にかけて安全を確かめてもらっていました。野菜もミルクもOKだったので、緩やかな足取りでうれしそうに家路を急いでおりました。そのあと、調理した野菜を食べている家族の映像が流れておりました。

これが彼女たちの生活環境です。25年経ってもこのような生き方を強いられております。嫌だからといってそこを出ることも、特に何かを改善することもできません。政治の救済がどこまで行きとどいているかは判断できませんでしたが、いずれにしてもこの状況が彼らの生活状況であります。注目すべきことはこの家族はこの状況と共に生きているということです。このような生活を強いられることは不便で、つらいことかもしれませんが、彼らは黙々と生きております。

多分、日本においても直接原発事故の帰結に悩む地域の人々は、現在の放射線の伝播が続けば、やがてチェルノブイルのロシア人と同じような生活を強いられることが考えられます。その様な中で日本人も、変えることのできない状況に直面して、できる限りの工夫をしながら生き延びていく。状況を受け入れ、状況に従うことによって却ってよい生存の条件を整えていく。ともすれば変わることを諦める自分に反抗を続けながら、状況に飛び込んでいく。このように困窮の中で自分自身への反抗を続ける力をフランクルは、「精神の反抗力」と名づけました。放射能のひどい場所を離れて別な場所を見つけて住む。これができる人はそうすることも一つの選択。リスクの時はそれを避けること、それを逃れることは賢いことである。それに対して、そこを離れることができない、離れようと思わないことも一つの選択。それはそれでよいことである。いずれにしましても何らかの態度を決める。決めたら自分のこれからについて嘆かない。ひたすら状況の中に含まれているかもしれない要求と、生存のチャンスを見つける。自分をそれに合わせながらこのチャンスを使っていく。フランクルはこのような工夫を「自己から距離をとる」といい、これを前提としてその都度おかれている状況を超越するといいます。「自己を超越すること」もフランクルが使った専門用語の1つです。フランクルによると、選択の自由、それに伴う責任、自己距離化そして自己超越は精神の働きであるとされます。

彼によると、人間の存在は3つの次元から成り立ちます。まず心と身体です。両者は密接に結びつくけれども、それらはそれぞれ閉ざされた独立の領域であります。そしてこれら2つの領域は精神の働きに触れているといわれます。第3番目の次元は精神あるいは精神的なものの次元です。それは心と身体の領域を自分自身の領域の中に映し出します。しかし、精神あるいは精神的なものは自由そのものであって、それは決して心と身体の領域に取り込まれ、その中へと解消することはありません。それはどこ迄もこの両者に先立ち、それら指導する。心と身体、そしてその統一が滅びても、存続いたします。心と身体はその本性からしてそれ自身においては不完全であり、精神的なものの力によって維持更新できるに過ぎません。精神的なものはそれに対して、つねに完全であり、病気にもならず、死ぬこともありません。そのようなわけで、フランクルは精神的なものは心と身体に対していっそう高い地位をもち、それらに弱く不完全な心と身体に「敵対し」、それらを矯正し、力づけるとします。

ここで「心の力を信じて」という今日のフォーラムのタイトルとの関連において私の考えることを申し述べたいと思います。私は大学では人間心理学科という部署で教えておりますが、そこで心理学者たちに出会います。日本の大学で教えられている臨床心理学には一方で、人間における精神あるいは精神的なものと、他方で、心の区別はほとんどないように思われます。フランクルのロゴセラピーに特徴的な精神的なものの働きは、興味深いことに触れられないままであるようです。彼によりますと、精神的なものの働きあるいは内容には次のようなものがあります。

事柄、そして芸術的なものに対する興味、創造性、宗教性そして倫理的感性すなわち良心、自由な決断、愛すること、すでに言及されたように自己超越、自由、責任、価値および意味の探求、希望をつなぐこと、世界へ開かれてあること、感動する能力、職業の倫理、態度することなど。

フランクルによりますと、この最後に挙げた態度することに中には、すでに申し上げましたように、「苦悩する能力」もまた属しております。強制収容所の囚人たちは苦悩しなければならないときに、苦悩することを引き受けましたが、彼らはフランクルによると、まっとうに苦しむことはそれだけでもう精神的に何ごとかを為しとげることだということを証し立てました。

「最後の瞬間まで誰も奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最後の息を引きとるまでその生を意味深いものにしていだ。なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ」

この講演をお聞きの方々はひょっとしておっしゃるかもしれません。放射能汚染に苦悩する者たちは強制収容所の囚人たちとはそもそも比較にならない、と。強制収容所の被収容者たちは人種的、宗教的そして政治的抑圧の犠牲者たちであり、原発事故の犠牲者は文字通り天災および人災の犠牲者なのであって、共通するものはない、と。勿論、その通りです。私もまた喜んでこの意味での両者の相違を認めますし、両者の相違は無視されてはいけないと主張いたします。ただ、両者は変えることのできない客観的な状況を乗り越えるためには、そのことを嘆くことよりも、それを引き受け、この状況に対応する態度を変えることによって苦悩を超えていく。フランクルはこのような道を示しましたが、私はこのことが今日、間もなく来ることになっている放射能汚染と共生することの必然に直面して大きな意義を持つといいたいのです。変わるプロセスの中で心身の健康を維持する道を発見し、極端に制限された状況の中で精神的なものの反抗力を使う。そのことによって危機を乗り越えることは十分あると思うのです。

しかしまた、翻って厳密に考えますと、すでに言及しましたように、原発事故は単なる天災ではなく人災であるということが電力会社と政府の両方によって認められています。そうである限り、この事故の人間的な責任は問われなければなりません。人間の罪責の結果として市民は苦しんだし、これからも苦しむのですから、この事故の責任の構造は強制収容所であれ、電力会社及び政府であれ、両者とも人間的主体の失敗、人間的知恵の失敗に関わります。態度することの価値を実現する者たちの数が多くなればなるほど、この失敗の意味は明るみにもたらされるのです、そしてその限り現実の変化は必ずや起こります。

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4章 生きる意味と目的

この講演の中ですでに「生きる意味」という概念が何度か出てきました。ヴィクト−ル・フランクルは生きる意味を「生きる目的」という概念を使って説明しております。
彼は『夜と霧』の1箇所でニーチェという哲学者の言葉を引用しております。

「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」

ヴィクトール・E・フランクルは心理療法や心理衛生に携わる者はこの言葉に従わなければならないとしております。彼によると、強制収容所の被収容者が彼らの現在の収容所生活のおぞましさに精神的に耐え、抵抗できるようなるためには、彼らは彼らが生きる目的をことあるごとに意識しなければならない。生きる目的を理解する者のみが、現在の悲惨な境遇を生き延びることが出来るだろう。生きる目的が、生き延びることを可能にさせるのだという。フランクルはこのような考えを展開した後、いいます。

「ひるがえって、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていても何もならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばりぬく意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人々はよりどころを一切失って、あっという間に崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶する時、彼ら口にするのは決まってこんな言葉だ、
『生きていることにもうなんの期待がもてない』
 こんな言葉に対して、いったいどう答えたらいいのだろう。」

崩れていった被収容者仲間の考え方に関してフランクルの心を痛めたのは彼らが生きる目的に対して自らを閉ざし、「がんばりぬく意味」を見失ったことだった。彼らが彼らの人生の目的をもち、それに自らを開いていたら、彼らが生き延びるチャンスは著しく大きくなっただろう。フランクルは続けます。

「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。私たちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ」

フランクルによると、われわれは「わたくし」を主語として、この「わたくし」に人生に対する問いを発するよう仕向けるという態度を改めて、人生そのものを主語として、この私の考え方、生き方を、人生そのものの方から問わせるという立場を取らなければならない。私の考え方、生き方、私の目的の立て方は「わたし」の自由になることではなく、逆に私の考え、生き、目的を立てることは人生が私に対して向ける大いなる問いかへの枠内で行うことが必要なのであります。それで十分なのです。

「もういいかげん、生きることの意味を問うことを止め、私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ」

まさに意味への問いが止むこと、それが、この問いへの正しい答えだというのである。ヴィクトール・E・フランクルはこのような意味で多くの人々を生きることへ勇気づけてきました。生きることへの意味を発するに留まらずに、人生そのものからの期待にこたえ生きる目標をたて、それを達成することに精進することに尽きるのだということです。私はこのことをよく理解し、近年、心理学に応用したフランクルの弟子、シカゴ大学のミハイ・チクセントミハイの言葉を取り次ぎたいと思います。われわれはこれを今日の困難な時代のために使うことができると思います。

「生活に意味を感じている人々は、自分のエネルギーのすべてを投入するにふさわしい挑戦的な目標、生活を意義づける目標を持っているのが普通である。このような生活の過程を目的達成過程と呼ぶことにしよう」

「人は自分の様々な目標を統一する目的を見つけるだけでは不十分であり、最後までやりとおし、その挑戦に応じなければならない。目的は努力に帰着せねばならず、意図は行為に転換されねばならない。われわれはこれを目標追求の決意と呼ぶことにしよう。… 努力が分散されたり浪費されたりすることなく、目標を達成するために費やそう」

「ある重要な目標を強い意志を持って追究し、様々な活動のすべてが統一された活動に統合された時、意識に調和が生じる。自分の願望を知り、その達成を目指して努める人は、感情、思考、行為が相互に融和している人であり、従って内的調和を達成している人である。… 調和の状態にある人は何をしようと、また何が起ころうと、心理的エネルギーが疑問・後悔・罪悪感・恐れによって浪費されることなく、常に有効に働いていることを知っている」
(M・チクセントミハイ『フロー体験 喜びの現象学』世界思想社、2009年、271頁 〜272頁)

これで私の話を終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

注 ヴィクトール・E・フランクルのテキストは『夜と霧』新版、池田香代子氏の翻訳、
みすず書房、東京 2007年を使用させていただきました。

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