ニュースレター 第3号

2012年1月

希望は死なない

安井 猛

新年明けましておめでとうございます。
喪に服しておられる方々にはこの1年が落ち着いた時となるよう念じあげます。
何れにいたしましても、皆さん、よいお年をお過ごしください。

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被災地、仙台も緩やかに歳が始まりつつある印象を得ております。
東日本大震災の日からほぼ10カ月が経過して、復興が本格化する年に入ったとの感を強くいたします。

皆様は、新しい年をどのようにお迎えになられましたか?
伴侶、息子や娘たちにも、自分にもよい年であって欲しいという願いがあります。
どのような目的を達成したいのか?どうワークとライフ、自分とファミリーのバランスをとるか?コミュニテイの役に立つことをしたい、趣味を作りたい。海外旅行をしたい、北海道に1人旅をしたい。金を貯めたい、使いたい。金は要らない、金のことは考えないという考えも注意の焦点となるかもしれません。

私の思いは正月に入って福島第1原発の爆発事故は人類の生活を変えたことをめぐって動いております。被災および被爆地の外の地に住む方々はこのことを想像できないかもしれません。今月の始め、この地域に分布するセシウムの量が昨年3.11の頃と同じくらいになったらしいのですが、どうしてそうなったのかは分かりません。政府がこの出来事について情報を流さないので、国民はどうにかして自助する以外にはありません。

放射能の体内被爆を防ぐために、多くの市民はマスクを着用しています。外出時に着用を忘れないだけでも学習を必要とします。被災地の野菜、果物、牛乳、コメ、肉、卵、魚などを避け、外国産の魚や肉や野菜を使う。しかし、それはいつも入手可能ではありません。商店では被災地のモノを売っていますが、不安で買えない。他県のものもあります。先だって、デパートで熊本産6個の小さなトマトが900円、私の住む近くの店では同じ熊本産トマト6個が796円でした。凄い値段です。時には、不安の中で地元産を買いますが、不安の中で食べる物の栄養吸収率と安心の中で食べる物の栄養吸収率は、どちらがいっそう大きいのかな、などいいながら食べています。食事は楽しくなくなった。生活の質が下がった。これはいつまで続くか分からない。

このようななかで信頼に値する医者や原子力学者や物理学者たちが放射能に対処すべき仕方を時々刻々インターネットを通じて流しております。また、例えば『ザ・エコノミスト』誌の1月7日〜13日号は「フクシマブラックボックス」という記事の中で、日本政府の悲しくも滑稽なまで深刻な「怠慢(neglect)」と、それによって引き起こされた福島県民の窮状を世界に向けてコンパクトに知らせております。このことは原発事故から10カ月経った現在、日本においても知られつつありますが、それが世界的レベルそして国際的なこととして扱われることを有難く思います。

昨年の11月頃から気になっていることがありました。私は学生に原子力の平和利用と軍事利用の関係を話す機会がありました。原発事故後の政府の「怠慢」を見ながら、なぜそのような「怠慢」が可能かと問いながら、1つの疑いに取りつかれました。原子力の平和利用の裏には軍事利用への目的がつきまとっているのではないか?この目的が中央政府の為政者を意識的、無意識的に占領し、国民の安全および健康の問題を良心の疾しさなしに「怠る」ことを可能にしているのではないか?この目的を追う限り、必要なことの大半は果たしたのだという意識が、国民の安全および健康の問題を想定外の領域に追いやって平気にさせたのではないか?これ以外にどう為政者の怠慢と無責任を説明すればよいのか?

私はいまこのような思いは必ずしも妄想でないことを確信しております。山本義隆という物理学者で批評家がおります。彼によりますと、戦後の日本の支配層に引き継がれた原子力産業育成と原子力発電推進の「深層底流」には「潜在的核兵器保有国の状態を維持し続け、将来的な核兵器保有の可能性を開けておく」という目的が含まれていた。山本さんはこのことを信頼すべき証拠を挙げながら指摘しておりました。(『福島の原発事故をめぐって』みすず書房、2011、5頁〜25頁)この「将来的な核兵器保有の可能性を開けておく」という目的を保持できさえするなら、結局、「経済的収益性はもとより技術的安全性さえもが、二の次、三の次の問題となってしまうだろう」この山本さんからの引用に私は「国民の安全と健康の問題さえもが、二の次、三の次の問題になってしまうであろう」という一文を、論理的帰結として付加したく思っております。「原子力の平和利用」という欺瞞的なうたい文句には「原子力の軍事利用」を最終的には保持しようとする意図がくっついていることからあの「怠慢」がくるのだし、この怠慢を怠慢と認めることをしない思考の麻痺と人間の尊厳に対する無感覚がくるのだと思います。

因みに、山本さんは「ドイツが脱原発を宣言したということは、ドイツが今後も核武装をする意図はないという明確な国際的メーッセージを意味している」といいます。ドイツは、2022年までに脱原発を完了しますが、この後戻りできない決定は確実にユーロ圏の国々を動かしていると聞いております。

私は年の始めに、このようなことを考えたり、読んだりしていますが、しかし、私たちの国民の生活の現状がどうかとはかかわりなく、私たちは希望に満ちた1年を始めることはできます。「希望に満ちた」はすこし大げさに聞こえるかもしれませんが、希望がないと思われるところに希望を作ることはできます。希望とは何かすでにできあがっており、必要に応じて使いさえすればよいというものではありません。何もかもうまくいかないところで、自分にも他人にもプラスになりそうなことを試みる。そのうちに人生に心を開く。誰かがあなたに、あなたが誰かに心を開く。共に何かを体験できる。この共有が重要になると、すこしずつ自分も他人も理解できるようになります。

何かに望みをかけることは止みません。望みのかなう部分が大きいか小さいか、何を勝ち取ったかとはまったく別に、何ごとかに望みを懸けることはできます。具体的に何かを得るかどうかに関わりなしに希望は存在します。それは何かをゲットするという以上の何ものかなのです。なぜなら、それは私たちに将来がある(!)というただそれだけのことからくるからです。

希望は心身の健康とか不調に左右されません。それは私たちの精神的なものの働きです。精神的なものは私たちの人格の核心を作ります。それ故、将来を描き、将来に望みをかけることは止まない。希望は死なない。望みをかける理由のないところでも望む理由を作りだせます。それができなかったら、それができるよう練習します。そうすると望む理由を作りだすことができるようになっております。なぜなら、いつの時にも、私たちの状態如何に関わりなしに将来は与えられてくるからです。

皆様がこのような意味で希望の中で歩まれることを願っております。

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2012年に向けてのみなさまのお便り

今年度もまた、皆様から多くのニュースレター3号のための原稿を戴き感謝申し上げます。

この震災が与えてくれたこと

中村 完治

日本は、いつからこんな情けない人たちが中心を占めるようになってしまったんだろう。自分の富を確保するためにムラを築く。日本の最先端をゆく原子力ムラの実態が今回の地震により、明らかになった。終戦直後に、裁判官が法を守り闇米も買わずに、飢え死にした美談を聞いた。江戸時代にも、「武士は食わねど高楊枝」と、支配層の高潔さを誇りに思っていた。

日本列島は、数百万年前から地底の活動により次第に大陸から遠ざかり、今に至っている。北欧などとは違い、地層が活動しているがゆえに、人間に自然の豊な恵みを与えてくれている一方で、今回の地震や台風など大きな自然災害の非常に多い地域となっている。

人の歴史をみても闘争力のある者は中国大陸の中心部に留まり、争いを嫌う者はそこを離れ、朝鮮半島などに押しやられ、それにも堪えられない者達が、辺境の日本列島に流れ着いたとの説がある。

ヨーロッパ、アフリカなどは、我が身を外敵から守るために、部族間、国家間の戦争が熾烈、且つ長期に渡って続いて来た戦いの歴史だ。アメリカも原住民のインディアン同士を謀略で殺戮し合わせ、自分達にとっての新大陸を獲得した歴史がある。彼らの遺伝子にはこうした戦う本能が刻まれているのだろうか。

しかし、日本列島では頻繁に起こる自然の脅威に対して立ち向かうために、隣の人同士がお互いに助け合ってきた歴史があった。脅威となるのは外部からの異民族ではなく、自然災害だったからだ。戦争の時期もあったが、世界的に見れば日本のそれはほんの短期間だ。己を捨て他人を思いやる心が万葉の時代から延々と続いて来た。それがいつの間にか、違っていた。

今回の地震・津波・原発事故は、日本人の原点に立ち返るよい機会を与えてくれた。その代償は、あまりにも大き過ぎるが、この震災で亡くなられた方々の死を今後に生かすためにも、この原点回帰を日本中に広めてゆく義務を私達は背負っている。

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2012年の念頭にあたって

特定非営利活動法人ほっぷの森
理事長:白木 福次郎

新しい年が始まる。
2012年の始まりは何かが違うような気がする。
無数の魂が私に語りかけてくるようだ。
人の命は限りがあるものだけど、限りあるからこそ尊い、誰にも生きている意味がある。

失われた命は戻らないが、残されたものの責任は重い!
再び同じ過ちを繰り返さないために自分ができることは何か?
を求めつつ、新たな年をスタートする。

ほっぷの森の新たなステージを描いて多くの仲間と一緒にスタートする。

アートを通してすべての人を優しく包み込む社会を目指す
アート・インクルージョンの活動は多くの人を巻き込みながら
障害のある人の社会的な自立を支援する。

この世にまだ生まれていないすべての魂に告げる!
それでも人生は素晴らしい!

苦悩の中から生まれてくるものは貴い。
1回だけの人生を無理せず、良心に従い着実に進んでいくことができれば本望だ。

さあ!始めよう自分のできることを!

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2012年へのつぶやき

深野 せつ子

あれは、本当にあったことだったんだろうか?夢か、勘違いか?そんな思いが今でも行ったり来たりしている。東日本大震災以来、確かなものは無いんだ!私達の生活は全て不確かなものなのだという虚無感が抜けなかった。

しかし、一方で4月から6月の毎週土日に仙台の一番町三越前、フォーラス前、藤崎前の3カ所で合唱連盟の皆さんによる、震災義援金のチャリティコンサートを行い、そこで何かしなければという人々の思いをたくさん、たくさんもらった。募金箱にお金を入れて下さ方達から何か信じることの出来る確かなものが伝わってきた。

今、2011年の終わりに、この不確かさと、確かさの矛盾をそのまま受け入れなけらばならないと思えるようになってきた。

2012年はこれまでの新年であってはいけない。2万人もの人々が犠牲になったことの意味を、私たち生き残った人間は確かなものとして形にすることが期せられているように思う。でも私は何が出来るのか?うろたえながらも何か舞い降りてくる瞬間を見落とさない様に、丁寧に謙虚に探し求めようと思う。もしかして、結局何も出来ないかも知れない。それでも探し求めて生きた事に意味があるかも知れない。2012年60代最後の年を迎えるにあたっての、自分へのつぶやき

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幸福感という生きがい

瀬賀 孝子

"生きがい"には二つあるのだと思う。"達成感"と"幸福感"の二つ。

私はずっと"達成感"を生きがいに人生を送ってきた。ビジネスにおける成功が生きがいだった。そのために可能な限りの努力をしたし、なにがしらを犠牲にもしてきたように思う。女がビジネスで成功することは当たり前という時代ではなかったから。

脱サラをし、組織のバックアップ無し・肩書無しの瀬賀孝子の名前だけでソコソコ稼げる人間になること――達成した。住んでいる新潟でソコソコ知られる人間になること――達成した。その時は嬉しかった。でも"達成感"は、ほんの一時で長くは続かないのだ。

私は、"達成感"は充分に味わったけれど、"幸福感"なんて考えもせずに生きてきたように思う。随分と淋しい生き方をしてきたものだと思う。

5才になる孫(男の子)と仙台に来ては遊ぶ。保育園に送って行く時間になると「ばぁ〜ばと遊んでいたい」と愚図る。家の中に居ても、私がちょっと二階へ物を取りに行こうとすると追いかけてくる。私が新潟に戻る時になれば別れたくないと泣く。5才にもなると"他人を思いやる能力"も発達しているようで、走りっこで私が追いつけないと、立ち止まって「大丈夫?」という視線を送ってくる。お互いに思い合っていることを感じる。この子のためなら何でもしようと思う。

"幸福感"は人との関わりの中にある。しかも無目的の、いえ関わりそのものが目的の人間関係の中にある。私は人間関係を大切にしてきたけれど、それは"ためになる人間関係"だった。友人と呼ぶ人は本当の友人だったのか? 関わりそのものが目的という人間関係をおろそかにしてきたかもしれない。

"幸福感"を味わえる人間関係を大切にしていこうと思う。

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『一回転半』(慣習と一体化して個物化すること)

杉村 真知子

3・11 老人世帯で大規模半壊の被害を被り、二ヶ月の間避難所・介護施設を経てどうにか自宅に戻れた87才の両親。多くのボランティアの方々に手伝って頂き、震災から八ヶ月経てどうにか日常を取り戻し、落ち着いて暮らせるようになってきた。

そんな矢先の先週、介護用品介護ベッド導入の提案がヘルパーさんからあった。すでに杖なしでは歩けず布団での寝起きがおぼつかない父にどうかと勧めてくれたのだった。 扱いも楽で、月々1545円のレンタル料金も被災者支援でまかなわれるそうで、良い機会なので試してみたらどうかという事だった。

父同様母も、布団の端に足を取られて転倒したり、寝起きのたびによろけたり尻餅をついている二人だ。骨折防止の為にも、これは千載一遇のチャンスであろう。

しかしこの災害で幾多の苦難と環境変化に対応出来ずかろうじて生き延びてきた老人達だ。やっと得た安息で、彼らはとっくに認識了解のレベルを逸脱した激しい認知症に陥っている。ただでさえ保守的で変化を嫌うタイプであり、ヘドロまみれの家財道具一つ処分する了解を取り付けるのにも手を焼いた二人だ。たかが介護ベッド一台でも抵抗を示すだろう事は目に見えていた。一度了解しても、了解したことを忘れるので翌日再び同じ事を説明すること数十回。「変化を嫌う」が根底にあるので、彼らの中にあるものは只それだけなのだ。

無理からぬ事とは思う。思うがしかしやらねばならない。布団の寝起きで骨折する老人は少なくない。骨折してもすでにこの町には整形外科がない。県立病院にはこのような老人達がすでに入院しており空きベッドがない。大きな町に行くには二時間かかり車も流されてしまったのだ。入院ベッドが空いているのはかつての精神病院だけだという。それでもいいのではないかと思うのは端だけで誇り高き彼らは苦しむだろう。そんなこんなを考えつつヘルパーさんを交え四人で介護ベッドの良さをアピールすること3日間。

紆余曲折しつつなんとか介護ベッドの導入にこぎ着けた。 ひとまず母が試すことになった。このあたりのいきさつも色々あるのだがとにかく紆余曲折なのだ、母が介護ベッドを利用することになったのだった。

高さ40p程度の低いベッドに柵をつけてもらい、いつもの布団を掛けてセッティングが完了した。まず私がベッドに腰掛けてそのまま横に倒れて寝てみた。『ほら、こんなに楽だし全く痛くない、起きるときもボタン一つで身体が起きあがるし。』ヘルパーさんも機械が苦手な母に『機械を動かさなくても腕だけで寝起き出来ますから』と額に汗しつつ懸命だ。 厳つい鉄のパイプが組み立てられて行く行程を見て尻込みしはじめた母に、とにかく試してもらうしかない。

ヘルパーさんが母をやさしくベッド脇に誘導。『腰掛けてみてください。』とさらに優しくうながす。母は戸惑っていた。そして『座るの?』と問うのだった。父は何か危険な科学実験でも見るかのようにあえて離れた場所から様子を見ている。

母は不安げに、でも口元を引き締め、思い切ったように立ったままくるりと一回転半してベッドに四つんばいになってコロリと横になったのだった。
(『えっ?』)これはヘルパーさんと私の心の声である。

就寝前に布団の脇で正座のまま身支度を調えた後、その姿勢から四つんばいになって母は布団に横になる。母にはベッドに座るという習慣がないのだった。椅子に座るという行為は日常的にあっても、ベッドに座るという行為をしたことが無いのだった。無いのでその作業に適応出来なかったのだ。何度試しても彼女はベッド脇に立ったまま一回転半してから四つんばいになる。
兎に角その夜は、普段の布団を敷き直す場所も無いのでそこで寝るしかなくなったものの、夜半まで寝苦しさを訴え結局翌日キャンセル申し立てをしたのだった。

確かに認知症の母に限らず、ちょっと考えると自分たちの中にもこういった無意識の固定化した習慣は累積しているものだと思う。彼女が自分で作った生活習慣なのだが、こんどは習慣が彼女を動かしているのだ。

それでも『一回転』ではなく『一回転半』の半分の動きの中に、私は母のチャレンジを垣間見るのだ。正面に戻ったらベッドには座れない。

長年の生活の知恵で、そう言ったことには積極的で自らキャンセル電話をいれた両親は、やはり自分達は大丈夫だ。二人でしっかり毅然と生きていると、底抜けに明るく自信満々なのだった。

生憎人手不足でベッドは翌週の回収になった。
母は辛いながらも数日耐えなければならない。
『お母さん、偉いね!』と褒めながら、私は何とか母が、布団で寝起きしていたことを忘れてくれないかと願っている。

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人生の帯を織る

中山 康子

「人生ってこんなふうに流れていくのか」

人生に対する感覚を、巻き絵を紐といた"帯"として初めて感じたのが昨年でした。 私は、看護師という職業柄、20歳代から数多くの人の人生の一時期に関わってきました。しかし、人生に対するこの感覚はこれまで持ち合わせていませんでした。

2011年、大震災を体験しました。また、治療が難しい病状を乗り越えて生きる友人、知人の存在が私の人生に揺さぶりをかけました。自分の体力に限界があることを実感したこともこの感覚につながった要因と思います。

今、私は、当研究所の研修生の一人ですが、この研究所で学んだことの中に「人生の終わりから今の自分をみる」という視点があります。これはとても面白い感覚です。今までの自分の生き方の自己評価が出来、更にこれからの自分を創る際に新しい光が差し込む体験をしました。

その体験の中で感じたことは、自分を創る確かな価値観の欲求です。2012年も、社会の波に流されないで自分を創りたいと考えています。今の社会は、多くのことが経済に依存しています。経済は重要です。しかし、その価値観だけで動く社会は危険だと思うのです。 また、メディアも人の会話も物も表面的なものが街にあふれています。多くの人が指摘しているように、これは貧しいことだと私も思います。社会の影響を過度に受けないよう2012年から生活も少し変えるかもしれません。

どんな価値観を備えてこれからの自分の人生の帯を織るのかは重要です。その価値観を語れるくらい確かなものにひとつひとつしていくことが私の新年からの課題かなと思っています。

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マネジメント・コンサルタント
桂 利治

2011年は、本当にいろいろな変化があった年でした。東日本大震災および原発事故という未曾有の災害にあって、否応なしに突きつけられた変化もありました。

発災から9ヶ月以上経過した現在、皆が同じだけの時間を過ごしたにも関わらず、人々の状況には大きな差が生まれてきたように感じます。その差を生み出した要素の中で、私が一番注目していることは「自分が影響を及ぼせることに集中するのだ」という心構えです。

災害直後、いろいろな方から「何か復興に役立つことをしなければと思うけれど、何もすることができない」ともどかしい思いを聞くことがよくありました。そんなとき私はいつもこう言ってきました。「できないことでくよくよしても何も始まらない。自分のできることに集中して、それを一生懸命やれば、まわりまわって必ず良い影響をあたえることができるはずだ。」
これは、私自身に対して言い聞かせている言葉でもありました。

2012年、まだまだ変化は続くことと思います。変化に押し流され、進むべき方向をを見失うことのないように、自分が影響を及ぼせることにさらに集中していきたいところです。

写真は、地震からまもなくの3月20日、私の娘にと、娘の友達から届いた誕生日を祝うケーキでした。普通に食べるものすら乏しい中、お母さんと一緒に材料を探し求め、作ってくれたこのケーキ。これを見た途端に皆で涙したことをいまでも思い出します。また、いまあらためて写真を見るだけで涙が出てきます。2011年は、暗いことばかりのようでしたが、一番の思い出です。

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2012年--「路地で呼ばわる知恵」に聞く

芝田 豊彦

ドイツ敬虔主義の代表者のひとりであるエーティンガーは、箴言八章にもとづいて「路地で呼ばわる知恵」に言及する。そしてこの知恵の声を聞く(感じる)人間の能力を、彼はセンスス・コムニス(共通感覚)と呼んだ。この能力は、悟性や知性から区別されるが故に「感覚」とされ、すべての人に与えられているが故に「共通」と呼ばれるのである。しかしこの能力は、いわゆる教養人よりもむしろ普通の人に恵まれている、と彼は考えていた。フランクルにおいても、人生に意味があるというようなことは、「通りにいる男や女」といった普通の人が知っていることなのであった。人生に対する基本的な感覚について、ふたりの洞察が示されていないであろうか。

2011年は東日本大震災と福島原発事故によって記憶される年となった。福島原発を廃炉にするのに三十年以上かかることや、使用済み核燃料の処理の難しさを聞くことによって、原発はそもそも人間の制御能力を越えた施設であることを、私たち庶民は直観したのであった。良心的な科学者や政治家も同じ意見であると信じたい。ちなみに2011年14号のシュピーゲル誌は、もともと科学者であったドイツのメルケル首相について、次のように報じている。震災の起こった3月11日という日に、「連邦首相は朝には原発支持者として起床したが、夜には原発反対者として就寝した」。

エネルギーを湯水のごとく使うという発想そのものが、人間の奢りである。人間は自然に属しているのであり、環境を汚染することはいのちをあやうくすることであり、私たちは環境世界とともに生きなければならならないことを、「知恵」は私たちに教える。2012年は復興の新たな年である。経済効率というような言葉に惑わされることなく、謙虚に「知恵」に聞く年にしなくてはならない。

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2012年

千葉 幸恵

私は私自身に向けてこの2012年を「過去からの光を未来へ100年先の子供達に視線を向けて考え選び行動する」と位置付けました。

フランクル先生の著書『夜と霧』読書会では「過去からの光」が自分を照らしてくれていると学びました。過去の困難な経験さえも、苦難の局面には私の糧となり励まし支えてくれることを震災を通して知ることとなりました。

放射能の問題で心の緊張は続きますが、市井に生きた人々の目線で歴史を見つめた時、先人たちがその時代を少しでも良い世の中にして次世代に引き継ごうと工夫を重ね生き抜いてきたように、引き継いだ私たちも歴史の一部を担う者として今を生きていくことができるということは、私達のこれからを示唆してくれる一条の光のように思います。

震災後間もなく1年を迎えようという今、この大きな岐路を前に私達を取り巻く状況は深まりを増す現実の深刻さに反比例するかのように、個人の尊厳や核心を語り行動することが難しい世論になりつつあるように思いますが、「東日本大震災から元気を取り戻そう会」ではその姿勢が揺らぐことはありません。

私がこの会で感じることは参加者個々の自立と、意見の違いは尊重されその中で私は安心して困惑し迷うことができ、問題の前に私は独りではなく、同じテーマを考えている人がいる。そのことに本当に励まされるということです。

会の参加者の方々の問題の捉え方・今後の方向性や真摯なお考えに刺激を受け、その基となる世の中の仕組みへの深い理解と着眼点の違いを知り、目が啓かれる思いがいたします。

私達は、心に灯る消えることの無い灯火のような情熱のもとに歩み、それは幾つもの確かな灯りになっていくのだと思います。

研究所で学び始めて5回目の新年は、私らしく自分を発揮して始動の時です。

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ふるさと再考

原田 奈穂子

十二月初旬、ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団の東京公演に行った。平日の夜だったため、観客の中には勤め人もいた。軽やかな弦楽器によるハーモニーを聴く間、居住まいを正し、曲が終わると礼儀正しく拍手する聴衆はいかにも日本的な光景だった。日本に住んでいれば、小学校から集団登校、避難訓練などで集団行動を鍛えられるので公の場でも当たり前の行動とも思えるが、世界を見渡せば、そういう文化ばかりとは限らない。

コンサート最後のモーツァルトの曲が終わり、盛大な拍手を受けてアンコール曲に入った。二つ目の曲の前奏を聴きながら、何の曲だろうと記憶を辿っていると、「兎追いし、かの山」という歌声がした。歌声の波はホール全体に拡がり、曲の三番を歌う頃にはすすり泣きも聞こえた。

大人向けのクラシックの弦楽コンサートでは、たとえ自分が慣れ親しんだ歌曲であっても、全員が熱唱することは珍しい。高野辰之記念館によれば、「故郷」は明治9年生まれの高野が少年時代に野山で遊んだ長野県中野市ののどかな情景を懐かしんで作詞したものだ。東日本大震災の直撃を受けた今の日本人はこの歌を通じてふるさとの意味を再考させられる。地震や津波の被害者ではなくても、あるいは原発の放射能汚染のための退去を命じられた住人でなくても、ふるさとを飲み込んでしまう自然の脅威は記憶に新しい。一度壊された日々の営みは、復興の道筋が立ったとしても、震災以前に戻るわけではない。

その一方で、甚大な被害を受けた地域には大きな略奪もなく、被災者が給水の列に並び、助け合う姿を世界のメディアは報じた。こうした理性的な行動は、災害時にも集団行動が取れる教育の賜物に加え、ふるさとを愛し、人との絆を大切にしながら災害時に備える気風が影響しているのかもしれない。

この方たちのふるさとが一日も早く再建され、日本全体が安心して生活が送れる日が来ることを切に願う。同時に、天災はいつ吾身にふりかかるかもしれないことを肝に銘じ、今あるふるさとの姿を心に刻み付けておこうと思う。

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2012

佐藤 順子

安井先生よりニュースレターのタイトルは「2012」とうかがい、何を想像できるかな と考えました。

「2011」があまりに変化の大きい一年でしたので、その次の年である「2012」まで想いを寄せる余裕がない感じでした。
我が家も住んでいた住宅が大規模半壊ということで解体撤去いたしました。
幸い以前住んでいた私の実家が無事でしたのでそちらに移り住むことができ、とても恵まれていると思っております。

そこで、最近考えている幸せなひとときをここで紹介しようと思います。
それは来年「2012」というわけではありませんが、主人とこれからやりたいことを話したり想像したりしていることのひとつです。

私たちは以前よりアウトドアが好きで海へ釣りに山へボードにと動いていました。
子供たちを連れてよくキャンプにも出かけました。
今回の震災時もキャンプ用品の数々はとても役に立ちました。
そんな私たちは熟年期になったらキャンピングカーで全国を旅して回りたいと話しています。
それは、考えただけで楽しくなってきます。
予算や手段、時間などまだまだ整っていませんが想いだけは強くなりました。
以前はそんな話に全く乗ってこなかった私の母も最近ではキャンピングカーなら何処でもいけると思ったのかとても乗り気になり、乗組員が三人になりました。
母はすでに介護が必要な状態なので「介護キャンピングカー」になりそうです。

いろいろな意味で難しい今のわが国ではありますが、きれいな景色を眺めながら思い出の土地巡りなど日本国中を旅できたら良いと思うこのごろです。

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私の大好きなフランクルの考え方を端的に表している箇所を紹介

廣岡 義之

それは、米国が第二次世界大戦に突入する直前、フランクルが米国への入国ビザを受けるために、ウィーンにある米国領事館に呼ばれたときのことです。両親はフランクルのビザが交付されしだい、オーストリアを離れることを希望していましたが、フランクル自身は、最後の瞬間に両親のもとを離れるべきかどうかで深く悩んでいました。なぜならフランクルには、両親がユダヤ人であるというだけの理由でいずれ強制収容所に送り込まれるであろうことが判っていたからです。ちょうどそのような時、フランクルは家のテーブルの上に、一片の大理石が置かれていることに気づき、父にそれが何であるかを尋ねました。父の説明によれば、その大理石は、ウィーンで一番大きいユダヤ教会が焼き払われたときに、彼の父が教会の焼け跡から見つけ出したものだといいました。彼が家に持ち帰ったのは、その石片に旧約聖書の「十戒」がヘブル文字で刻まれていたからです。フランクルが「十戒のうちのどの箇条ですか?」と父に尋ねると、「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。」(「出エジプト記」、二〇章一二節)でありました。そのときフランクルは自分の祖国オーストリアに両親と共に残り、そして米国行きのビザの放棄を決断したというのです。

フランクルがこうした「決断」をくだすことができたのは、その大理石にCaCO3(炭酸カルシウム)以上のものを見出したからです。こうした自らの切迫した経験をもとにフランクルは次のように言います。「人間は決断を避けることができない存在である。実存は必ず人間に決断を促すものである。(中略)人間は、こうした決断を通して自分自身を決定づけて行くのである」。このような人間理解はヤスパースのいう「決断」する存在を基盤としており、「衝動」に駆りたてられる存在を前提とする精神分析の立場と真っ向から対立します。つまり「人格は実存的である」という場合、究極的な意味で人間は責任を持ち、自由であるということなのです。「決断する存在」としての人間の在り方は、精神分析のいう「衝動存在」とは正反対の人間理解であり、ここから、決断する実存的人間は責任をもちえるが、精神分析の捉える衝動的人間は責任をもち得ないと考えるのが妥当でしょう。

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遅咲きのスロースターター

盛一 晋一
21歳時の作

遅すぎることなんてないさ きっと咲くよ 一輪の花
くよくよ悩んでたってしょうがない
今は耐えてつぼみのままで でもいいさ
きっと咲かせてみせる一輪の花

スタートは他の花にまかせておけばいいさ
そんなに差をつけられたって
おいついてみせる 他のやつをうらやんで
自分の色忘れたってしょうがない

いまは耐えてじっと我慢 嫌なことを かみしめて
雑草のように踏まれて強く
咲き誇ろうよ スロースターター

いつか君の花で満開に
ロケットスターターにはなれないけれど
ゆっくりと一歩一歩踏みしめて 君の花を咲かせようよ
遅咲きのスロースターター

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希望

佐藤 ちか子

子供と向き合うことを私の覚悟と決めて日々を過ごした2011年でした。
私たちが本気で向き合えばそれに応えてくれる子供達、私も変わらなければと思い、其の事をいつも頭の隅に置いて接して来ました。
身に就いてきた自信からゆとりも生まれる。
こどもの話しを聴くとき、何を言いたいのか良く解らなければ、もう一度尋ねる勇気もうまれる。こどもに、どう生きたいのかやなにをしたいのか、とかを尋ねて教えてあげられる。

これでやれるという勇気を以って言い聞かせた分だけは良い方向に持って行ける。

いつも信念をもちながら、希望につながるプレッシャーを感じながら、自分自身を信じて自信を持つこと。弱気になった事が自分にもわかる時、常にポジティブに考えられるように切り替えて。何よりも自分らしく過ごすことが一番かもと思っています。

今年こそは私も子供達と一緒になって外向きに動かす工夫をする正念場だと決心して取り掛かります。
それは私自身が、むかしのように元気な自分をとり戻しつつあることを、ある日突然に気付き、其の時から、子供たちにも自信を持たせられるかもしれないと思えるようになったからです。良きにつけ悪し富良野きにつけ、与えられた運命を焦らず、ゆっくり過ぎず、学んだことは大切にしながら…。

研究所で学んだことの中には、私にとっては厳しい部分もありましたが、納得できる部分も多く、励みになりました。自分の生き方を見失い、家族の在り様が見えずにいた時に研究所の存在に出会えて嬉しい限りでした。でもまだまだ勉強不足の部分は多く、私なりに学びは続けて行こうと思っています。

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母を想う

F.T.T.

中国地方も寒くなってきました。12月のある日、重度障害者施設で音楽会があるというので久方振りに外出を決心しました。

日舞、銭太鼓、カラオケ、ハーモニカの演奏を 愉しませて戴きました。 皆さんが、ボランティアの助けを借りながら日ごろから練習してこられたことをこの会で発表されたその出来事に感銘を受けました。

思いがけず、或る方から 「貴女のお母さんもハーモニカが上手で、皆さんを楽しませて下さったんですよ」と 亡くなった母の様子を窺い知ることが出来、感無量でした。 何年振りかで 音楽会に参加させて戴き、最後はハーモニカの演奏に合わせて全員で ふるさと を合唱し、ちょっぴり心の弾んだ一日は 私の知らなかった母の生きていた日に思いを馳せた良い記念日にもなりました…。

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龍形太極拳Lon shin T`ai chi Chuan

龍の歳にちなんで… 本邦初公開?!

安井 有為子

龍形太極拳は20の物語と動きから成っています。
20のそれぞれの形は身体と心の様子に直接かかわり、身体と心が健康であるように養いまもってくれます。

1995年秋に北京郊外の結核療養所で気功医師として働いておられた大道自然門医療保健気功大師 柳 鉄虹LiuTie Hong師から毎日8時間北京市内天壇公園に通って教わりました。鍛練のあとには練習のためのビデオを創って下さり、ドイツへ帰国後にも、のちには日本へ帰国してからも、言われたとおり一日三回大いに鍛練を重ねることが出来ました。貴重な想い出深い出会いでした。

1.懐抱太極 2.左転天地 3.右転天地 4.右合月日 5.左合月日
6.青龍出海 7.懐抱朝日 8.月星同顕 9.青龍とう海 10.紅日出山
11.龍 探海 12.海底金針 13.鳥龍盤柱 14.玉女追星 15.白龍新腰
16.檎 龍式 17.五仙帰天 18.追星赴月 19.海上浮動 20.万紫金光

太極拳は自分を護ることが理由であっても人に害を与えるものではありません。 防御のためであり、攻めるためのものではないのです。どんな時にも自分を護るためだけのもの、自分磨きのためだけのものです。

平常心を保ち、我慢強さを養い、責任感と理解力を養い、知恵と勇気と優しさと剛さを養います。栄養失調になりがちな心と身体を気功や太極拳によって強くする。何事にも心が耐えられるかどうか、我慢が出来るかどうか、です。

太極拳に限りません、小洪拳(中国河南省嵩山少林寺禅宗)も、沖縄が発祥という空手も、どの武道においても、その心は皆同じ、と思えます。

自分改革のための内に秘めて成す鍛練は アジアと西欧という発祥の地は異なっても、ロゴセラピーの理念と変わらぬものであることにも気付かれると思います。究極には平和と調和をもたらすもの。 一人一人が自分だけの事柄として覚め続け、前に進むための鍛練であるということ。その人の毎日の営みの中で自分磨きを続けるための道具にすぎないということ。簡単なこと、ですが、自分改革を続けることが修業であることにも変わりはないように思えます。

ドイツからの便り

Liebe Frau Yasui, lieber Herr Yasui,
schon seit heute morgen denken wir an Sie, liebe Frau Yasui, und

Ganz lieben Dank für Ihren ausführlichen Brief zu Weihnachten. Wir verfolgen natürlich auch die Meldungen aus Japan über den weiteren Verlauf der Naturkatastrophen-Folgen. Doch genau wie Sie schreiben, bekommen wir ja nur Ausgesuchtes über das Fernsehen vermittelt, und dle Hauptrolle spielt immer noch die Ökonomie, nicht die Ökologie und das Wohlergehen der Menschen. Da ist es schon gut, dass Sie, liebe Frau Yasui, schon lange kritisch sind bei der Auswahl der Lebensmittel und besonders bei Obst und Gemüse. Hoffentlich bleiben viele Menschen in Japan von Spätfolgen verschont. Ihr Erzählen von Ihrer frühen Kindheit in Hiroshima habe ich nicht vergessen.

Mögen Sie weiter gesund und tatkräftlig bleiben!
Viele liebe Grüße aus dem fast frühlingsmäßig aussehenden Mainz (es blühen noch ein paar Ringelblumen! Anfang Januar!) senden Ihnen beiden
Ihre August und Marlis Ermert . Auch alle Kinder lassen herzlich grüßen.

(ドイツ国、マインツ市在住のエルメルト夫妻は2012年1月4日、仙台の私たちへ手紙をよこしました。その中から彼らがフクシマ原発事故との関連で書いた部分を紹介したいと思います。
アウグスト・エルメルト氏は私たちの次女の医者で、彼女の死の後もずっと私たち夫妻に愛情と興味を示してくれております。翻訳された数行は、フクシマ原発事故の後、大半のドイツ市民が分かち合う日本人への気遣いを示しております。このことが伝われば有難いと思いながら、ここに訳出いたしました。)

和訳

安井ご夫妻!

あなたの詳細なクリスマスの手紙にこころから感謝いたします。私たちは自然災害の結果(原発事故)の、さらなる経過についての日本からの報告を、勿論、注目しながら追っております。しかし、あなたが詳しく書いておられる通り、私たちは実際、テレビを通して取り次がれた、取捨選択された情報を得るだけです。そして、主役を果たすのはいつもただ経済であり、環境と人々の福祉ではありません。ですから、あなたが、安井さん、すでに長いあいだ食べ物、とくに果物と野菜を選ぶ際、批判的になっておられることはよいことなのです。日本の多くの方々が後遺症から守られることを望んでおります。あなたのヒロシマでの子ども時代についての物語を私はいまでも忘れておりません。

すでに春がきたような感じのする(1月の始めだというのに、まだ2,3個のキンセンカが咲いています!)マインツから、あなた方2人にあなた方のアウグストとマーリス・エルメルトから沢山の愛に満ちた挨拶を送ります。

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「ロゴセラピーと宗教」についての対話

冨吉建周教授へのお答え

安井 猛

私の恩師の一人に滝沢克己(1909〜1984)という哲学者西田幾多郎とスイス人神学者カール・バルトに師事した先生がいます。彼はヴィクトール・フランクルのロゴセラピーに興味を持ち、1966年春、ウィーンにフランクルを訪ねています。それ以来、人生の意味を問い、かつそれを見つけるというフランクルの宗教理解を彼自身の宗教論の中で使いました。また、滝沢先生は他の個所でもフランクルを評価し、あるいは批評することがありましたので、彼のフランクルに対する興味は周知のこととなりました。滝沢克己先生は九州大学に勤務しておられましたので、その大学出身のお弟子さんが多かったように記憶しております。そのなかの1人に、冨吉建周教授がおられ、彼は昨年の夏、私のロゴセラピー理解に対する彼の批評を送ってこられました。私がいまこれを書いておりますのは、彼にお答えしようと思ったからです。

1.
対話の発端は次のことです。
私は東日本大震災いらい、被災者を始め日本人の生き方、考え方を立て直す努力をするなら、フランクル先生のいわゆる「態度する価値の実現」に勝るものはないといい続けてまいりました。この意味のことを研究所のニュースレター2号にも書きましたが、それに対して冨吉氏は「態度する価値の実現」では十分ではない、むしろ「態度する価値の実現」が可能になる根拠として神・仏との根源的関係そのものを積極的に語らなければならないとされました。その証拠に、と彼はいいます、フランクルも「永遠の命」(『夜と霧』池田訳、117頁)について語っているし、「光は暗きに照る(et lux in tenebris lucet)」(池田訳、67頁)という言葉も引用している。このようにフランクルも絶対無条件に与えられている神・仏と人間の根源的な関係を意識していた。この根源的な結びつきのお陰で人間的主体の中に創造する価値や体験する価値や態度する価値が湧き出てくる。従って、人間的主体の事柄と、それを生み、支える神・仏との関わりの順序は守らなければならない。神・仏の存在と働きが人間的主体の存在と働きに先立つから、人間はこの大いなる繋がりを目指しながら自らを実現し、体験し、態度する、このことが生の意味を意志し、それを充足するということなのだと。冨吉氏はこのような考えを展開し、神・仏との根源的な繋がりが人間の存在および行為に先立つという考えは重要であるという。これはもちろん、彼にとってのみならず、私自身にとっても重要であります。

2.
さてしかし、冨吉氏の見解は残念なことにここに留まってはおらず、彼はフランクル先生の「態度価値の実現」に関して、それは「普遍的技法であろうとして」「精神の次元のこと」を「曖昧のままにしてお」るとしております。ここで私は冨吉氏のこの理解は、どうしても当を得ているとはいい難いと思うのであります。私はこの理解を3つの理由を挙げて反論したいと思います。

第1の理由として、私はフランクル先生の人間論の核心をなす心身有機体と精神の関係に関する考え方を念頭に置いております。周知の通り、フランクルは人間の存在を描写するために、次元存在論というものを考えました。人間は精神的なものの次元、こころの次元そして身体の次元を持つとします。精神的なものの次元といいますのは、簡単にいますと、人間が彼のその都度の人生の状況の中に含まれる意味を意志し、理解し、それを選択し実現する客観的能力のことです。この能力は不生不滅であり、人間がその都度一定の状況の中に実存するとは、この客観的能力に裏打ちされてのことです。このような精神的なものを有機体としての人間は自分自身の中に映し出します、すなわち、思考と認知と感情を固有な働きとする「こころの次元」の中に映し出します。この映し出すという行為は同時に「身体の次元」における出来事でもあります。なぜなら、映し出す、あるいは表現するということは身体の自己形成あるいは身体の自己表現の能力でもあるからです。人間存在を形作るこころと身体の関係の秩序からいえば、こころが身体に先立ち、身体は心の動きに従うという先・後の順序があります。しかし、形態としての身体はこころの動きとの統一においてその都度一定の形をなし、時々刻々次の1つの形へ移りゆきます。

フランクル先生は興味深いことに、この心身の統一体の他に、この統一体を指導する原理として「精神的なもの」を考えました。それは彼によりますと、罹患もせず死にもしないものとして、病気にもなり、死にもする心身有機体を超越しているといいます。ここでフランクル先生の「精神的なもの」と「心身有機体」との関係の概要だけをお伝えしますと、彼はいつもこの両者を一つのこととして考えると同時に、精神的なものの有機体に対する先立ち、超越、卓越性も考えなければならないとします。「精神的なもの」は先、心身有機体は後、精神的なものの存在と働きは高いもの、心身有機体の存在および働きとは低いもの、この両者の間には逆にできない秩序があるとします。フランクルはこの両者の秩序の存在を彼のロゴセラピーの中で真剣に考えました。彼はこの秩序を精神的なものの有機体に対する「敵対(アンタゴニスムス)」あるいは「精神の(有機体への)反抗力」と名づけました。「敵対」にしましても「反抗力」にしましても、それらの概念はフランクルの心理療法の方法の柱となっております。精神的なものの次元は彼においてこころの次元あるいは身体次元の中にずり落ちて消失するということはありません。フランクルにおいて、精神的なものの心身有機体に対する超越と卓越はハッキリと確保されております。言及された「敵対」「反抗力」という2つの概念は精神的なものの存在と働きが心身有機体の存在と働きにたいして絶対の優位を保つという考えを担保します。態度する価値の実現を普遍的技法としようとし、「精神の次元のことを」「曖昧にしておく」ということはフランクルにはあり得ないことであります。

3.
第2に、態度する価値の実現というものは技法の1つと名づけられるべきものです。技法ですから、それを試みてうまくいく場合と、うまくくいかない場合があります。この両者の間には成功の度合いの様々な形があります。それは個別的で有限な、うまくいくあるいはうまくいかない技法です。それを磨き上げることもできます。この技法は人間の行う相対的な自己決定の1つにすぎません。それは普遍的でも万能でもありません。本当に普遍的で万能なものは、不生不滅の精神的なものそのものであり、態度する価値の実現とはこの精神的なもののお陰でかろうじて形を取ることのできるにすぎないような人間の相対的な自己決定の姿です。

すでに見ましたように、フランクルは態度する価値をただそれだけで論じたのではありません。彼は創造する価値についても語りました。これは物を作るとか、仕事をするとか、芸術や音楽を生み出すとか、諸々の人間関係を作るとかいうことです。フランクルはさらに体験する価値も語りました。これは人間が改めて作るものではなく、ただ彼が享受すればよいように彼に与えられたもの、それを実際に享受することです。何かを生産するためには環境に働きかける力が要求されますが、その力のない場合、人は差し出されたものを享け、それを楽しむことができます。自然、音楽や芸術や文化、異性へのあるいは一般に他の人間への愛などです。

フランクル先生は、これもすでに見ましたように態度する価値の実現も語りました。このたび福島、宮城、岩手3県および茨城、千葉そして東京の住民は東日本大震災と福島第一原発の爆発事故の結果をもろにかぶりました。特に漁業と農業で生計を立てている人々、その他の職業によってその場を離れることのできない人々、放射能の被害に晒されているけれども何らかの理由で被爆地に留まらなければならない人々と家族。先だってテレビの報道の中で、農家の1人がいっておられました、「ここには先祖代々の墓がある。それを残してどこかへ行くことは考えられない」と。放射能の恐ろしさを分かった上でどこか別の場所に移り住むことのかなわない人たちは大勢おります。

かなわないのにいつまでも別な場所に移り住みたいと嘆かないで、時間の経過のどこか一点において、同じ場所に生き続ける苦悩を引き受けることはできます。つらさを抱えながら前向きに生きることができます。問題が出るごとに解決しながらしたたか生き続けることを選択できます。フランクル先生の態度する価値の実現はまさにこのことをいっております。変えることのできない状況の中で、辛抱強く、変えることのできない状況に自分を合わせながら変わる。どんどん変わっていく。そしてこの変わるプロセスと、態度を変容する程度および態度を変容する仕方そのものが人間を、人間関係を、仕事の仕方を状況に耐えられるものにする。このようにして人間改造が起こる。

フランクル先生はゲーテの言葉を引用しました、「人間が業績をあげることにより、あるいは忍耐することにより気高いものにできないような状況は存在しない」と。ドイツロゴセラピー協会の学問的顧問、ヨルク・リーマイヤーは、フランクル先生はこの言葉でロゴセラピーの根本理念を先取りしたとしております。

エリザベート・ルーカスというフランクル先生のお弟子さんの心理学者がおりますが、彼女は学問的な方法で1000人に「いま、あなたは何を、あなたの人生のもっとも重要な意味と見なしますか?」と尋ねました。結果は、約50パーセントは創造する価値を、25パーセントは体験する価値を、そして25パーセントは態度する価値を選びました。4人に1人が、乗り越えられない苦痛や苦悩や死に対する態度の仕方を工夫し、それらを克服しようとしているのですね。このことの認識は、私たちの世の中の見方を変えるには十分ですね。

誰がどのような価値を選ぶかは人間の自由の事柄ですが、それは目の前に選択肢を並べて置いて、そのなかの1つを選ぶというのではなくて、気がついて見たらこれ以外にないというような仕方での選択、状況に迫られての選択なのだと思います。あたかも必然であるかのような自由が問題になっています。態度する価値の実現は精神的なものによって引き起こされ、精神的なものをその都度個性的に表現する行為、必死に状況に対しようとする行為です。態度する価値の実現は精神的なものを至高とするがゆえに人間の中に引き起こされる行為、至高な行為でありますが、それは同時に人間の振る舞いの1つに過ぎません。それは技法の「普遍化」、つまり、元々相対的なものの絶対要求とは関係ありません。

4.
第3に、ロゴセラピーと宗教の関係についての冨吉氏の言葉にも触れたいと思います。このことによって一層良く冨吉氏と読者に私のロゴセラピー理解を伝えられると思います。

冨吉氏はつぎのように書いております、「ロゴセラピーとして、宗教的なことに触れたくない、それは先ず科学であると変な自己規制をしていますから、宗教でない、宗教がそれによって成り立つ単純な事実が明確にならないのです。― ニュースレターを読んで、こんな感想を思ってしまいました。」と。

弊研究所の提供するロゴセラピー教育研修の基礎理論プログラムは以下の全4部から成り立ちます。

第1ゼメスター ― 人間の本質 ―ロゴセラピーの人間学
  有効領域:意味探求を解き放つためのロゴセラピー

第2ゼメスター ― 人間の生成 ― 危機予防
  有効領域:心理的な病気予防のためのロゴセラピー

第3ゼメスター ― 神経症的人間 ― 危機介入におけるロゴセラピー
  有効領域:心理的な病気を治すためのロゴセラピー

第4ゼメスター ― 苦悩する、精神病的人間 ― 医者による精神の教導
  有効領域:理想的な生活態度を創り出すためのロゴセラピー

私は2011年12月中旬、4年かけたこの教育研修の基礎理論プログラムの全部を終了しました。私について来てくれた研修生に感謝しておりますが、第4部の第4ブロックでは統合失調症患者に随伴するロゴセラピーの他に「人間の過去性の克服について」と「ロゴセラピーと宗教」についての講義がおこなわれました。この3つ目に挙げられた講義の要点は次のような考えです。ロゴセラピーはある特定の人間がいま・ここという一度限りの具体的状況において意味を探求しそれを発見するのを助ける。つまり、「意味の探求を解き放つ」、「心理的な病気予防をする」「心理的な病気を治す」、「精神病に苦しむ人間に理想的生活態度を創り出す」ための手伝いをする。ロゴセラピストは何処までもある人間の、いま・ここの状況に即した心理療法を行う。彼は人間の魂の救済という問題から解放されている。彼は「人間の人生そのものの有意味性」を論ずるのでも、「宇宙全体の存在の意味」を論ずるのでもない。このことはロセラピーの創設者の方針として決まっている。

ロゴセラピストはその都度の具体的状況が含む一回限りの意味の探求とその発見を促進することによって心理的病気の治療に責任を持つ。これだけでも彼には大変な仕事であって、それ以上のことは彼から要求されない。クライエントがかりにロゴセラピストによる病気治療によって魂の救済を得るなら、それは結果的にそうなったにすぎない。魂の救済はロゴセラピストの仕事の意図の中には入っていない。フランクル先生によりますと、これは牧師および聖職者の仕事の中に心理的病気からの回復がプログラムされていないのと一般であります。

このような観点からして私はフランクル先生がロゴセラピストを「人間の魂の救済」という重荷から解放してくれたことに感謝しています。これは「宗教に触れたくない、それ(ロゴセラピー)はまず科学であると変な自主規制をしています…」からではありません。ロゴセラピストが宗教について語らないとするなら、彼は彼に固有の責任領域に忠実に働くからなのです。宗教はその道の専門家に任せて、沈黙しなければならない。彼は宗教論を提供することに対して料金を戴くわけではない。これは心理療法が社会的正統性を獲得するために守るべき鉄則です。冨吉氏に決定的に欠けているかもしれないと思われることはこの鉄則に対する現実的感覚だと思います。

しかも、これが有難いことなのですが、ロゴセラピーの実際の中では、ロゴセラピストがその職務を行っていくと「宗教でない、宗教がそれによって成り立つ単純な事実」と呼び得ることが「明確に」なってきます。クライエントの問題と生活の文脈からこの「単純な事実」に対して言葉を与えることはできます。フランクル先生も、このエッセイ冒頭にも触れたように宗教そのものではないが、宗教が依って立つ「単純な事実」についての言葉を残しております。このことからもロゴセラピーが冨吉氏のいう意味の「自主規制」から自由であることが分かります。

5.
私は冨吉建周教授とこのような形で対話できたことに感謝しております。数日前、福島県知事は18歳以下の県民の被爆者の医療費を無料にするよう審議してもらうよう政府に申請しました。これは目立つ仕方では報道されませんでしたが、福島県知事のこの申請はこれから大きな数の被爆者が生涯苦しむこと、苦しみと共に生きなければならないことを予想させます。同じことは福島県の周辺の諸県の住民にも当てはまる可能性があります。このような事態の中で、私はフランクル先生が創造する価値の実現と体験する価値の実現を超えて態度する価値の実現を人生の意味充足の形、しかもその最も重要な形としたことに感謝しております。

「仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、… 仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限される中でどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた」

「およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。
苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在は初めて完全なものになるのだ」

「それは何も強制収容所には限らない。人間は何処にいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的に何かを成し遂げるかどうか、という決断を迫られるのだ」(引用は、池田香代子訳『夜と霧』112頁、113頁、114頁)

ヴィクトール・フランクルがこの文章を書いたのは1946年、強制収容所から解放されウィーンに帰還したあとでしたが、ロゴセラピーそのものは1938年ごろには完成しておりました。その有効性は、引用からも明らかなように強制収容所の経験を通して改めて確認されたにすぎません。この意味では、フランクルのいう態度する価値の実現は苦悩とともに生きることが問題となるところでは何処でも、それ故、苦悩と共に生きることが問題であるフクシマ以後の日本においては何処でも有効なのだと思います。

おわり

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2012年度の行事

ロゴセラピスト教育研修

3月3日(土)〜から方法論演習プログラム第1部が始まります。
3月10日(土)〜から基礎理論プログラム第1部第1ブロック「人間の本質 ― ロゴセラピーの人間学」が始まります。
ロゴセラピスト教育研修はどの部分からでも始めることができます。

「労働世界と経済」に関するセミナー

1月20日(金)19時00分〜21時00分から月1回、全12回にわたり「20代および30代の能力向上セミナー 卓越した仕事の為の『構え』を作ろう」が行われます。企業内教育プラスαは職業上のキャリア形成にはどうしても必要となります。
コーチ・メンタリングを常時受けつけております。

「職場、家庭および人格形成」関するセミナー

仕事と人間関係のための「エニアグラムとロゴセラピー」第4ツィークルスが6月から始まります。日程と内容につきましては3月初めにはHPに公開致します。
エニアグラムとロゴセラピーの相乗効果を明らかにする企画は本邦初の試みですが、第4ツィークルスが終了しますと、「エニアグラムとロゴセラピー」全40回の講義が完成することになります。

女性のための生涯塾

毎月、1回行われております。
常時受けつけております。

青年の為のコーチング

毎月、最終金曜日19:00から20:30迄行なわれております。
常時受けつけております。

東日本大震災から元気を取り戻そう会

毎月、最終日曜日14時00分〜17時00分
特に放射能に汚染された国に生きる道を求めております。毎回の集まりの成果をHPに公開しております。特にアクションは行いませんが、言葉の形成力によって将来を開く人間改造を行うことができればよいと考えております。

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編集後記

  • ニュースレター第3号をお届けいたします。
  • 新年に向けて文章と写真を送って下さった方々に貴重な記録を感謝申し上げます。毎日、本質的なことと向き合い、希望の歩を進めておられる様子が伝わってきます。
  • 2011年度3月11日以来今日までに亡くなられた15844人の方々の鎮魂を祈ります。行方不明は3394人にのぼるそうです。ご家族の方々の平安を衷心より祈念申し上げます。
  • 福島、千葉、東京では年越しの頃、セシウムの降下量が急増したという。昨年末、福島原発事故収束宣言があったではないか?それは何処へ行った?その責任は???
  • 年越しに、政府は[武器輸出三原則]を緩和した。自民党でさえ、このような無謀はしなかった。日本の今と明日が気にかかる2012年の幕開け。
  • 放射能汚染のため食料品探しは困難を極める、疲れる、されど母は子どもにも家族にも優しくつよく生きねばならない、戦禍で困難を極めた女性たちのたくましさや優しさに今、心から頭が下がる思いでいる。
  • お暇の折に、ニュースレター第3号のご感想をお寄せ下さい。どんなご意見でもうれしいです。対話が成り立ち、ともに前へ進めればそれに越すよろこびはありません。
  • 以下、福島原発事故関係の情報源からの一部です。ご参照ください。

発行者

安井 猛
日本ロゴセラピー&実存分析研究所・仙台 研究所長
ドイツ国ロゴセラピー協会公認ロゴセラピスト
ロゴセラピー&実存分析訓練と研究のための国際学会理事
(スイス・バードラガツ)
ドラッカー学会会員

研究所住所

宮城県仙台市青葉区本町1−13−32−オーロラビル605

ホームページ

http://www.logotherapie-japan.net/

連絡先

info@logotherapie-japan.net

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