言葉と沈黙と 第11号

2016年12月

付録「一日生涯塾」特集

読者の皆様

年の暮れも迫って参りました。何かとお忙しい毎日をお過ごしのことと思いますが皆様お元気でしょうか。
皆様のご協力により『言葉と沈黙と』2016年版が完成しましたのでお届けいたします。

今年の行事も12月分を残すだけとなり予定はすべて敢行できたことを喜んでおります。「女性のための生涯塾」、「労働と経済・職場でのストレスに向き合う」、「ロゴセラピーと日本人のこころ・般若心経を読む」そして「内向型の長所・人生戦略」の勉強会はそれぞれ月一回のペースで開催されています。皆さまの勤勉な開かれた心と熱心さには敬服いたしました。ロゴセラピスト養成・研修プログラムでは今年度は特に、療法家としての自分自身とどのように交わるかを学習しすべてを予定通りに終えることができました。

ところで今朝のこと、ロックバンド、ダイアー・ストレイツの曲『ブラザーズ・イン・アーム』の歌を聴いていてその中の「……世界は一つしかないけれど、それでも俺たちはみんな別々の世界に生きているんだ」という部分がわたしを引きつけて離しません。もう夜半近くなっていますが、仕事の傍らで一日中、これに思いを巡らせていました。

そうなのだ、「みんな別々の世界に生きている」、これは否定しがたい。そして、これは悪くはないな。人は皆、一人だ。一人であることを大事にしている。「みんな別々の世界に生きている」っていうのは良いことなのだ。良いも悪いもない。そもそもそれ以外のことは起こっていないのだ。「みんな別々の世界に生きている」ことは否定しがたい事実である。だから否定しない方がよい。否定しないで十分生きていける。あるいは否定しないからこそ、十分生きていける。
「みんな別々の世界に生きている」ことを否定してはならない、とも言える。

生き方は自分で決める、彼も彼女も自分自身で自分の生き方を決める。両者の生き方が一致すれば、それはそれでよい。どっちにしても自分の生き方は自分一人で決める他はない。
そしてそこに過不足はない。だからこそ、かえって心が通い合うことがあるのかもしれない。

一人一人が自分のことを決めながら生きる時に、心が通い合うことは、当たり前であって、実は意外なことではないのかもしれない。なぜなら、他人に干渉せず、各自が自分の自由を持つことを尊重する人をあなたは憎めるだろうか?
まったく逆に、そのような人を尊敬するのではないか?
きみはきみ、わたしはわたし、と互いに明確に表現できるなら、そのこと自体が本当の一致ということにならないか?

互いに他人に干渉しないで、自分は自分の人生を、他人は他人自身の人生を生きることができる。まさに、この一点において互いに一つになる。一つになれる。
どうだろうか。これはきっと自由における一致ということになる。最初から、結局は「世界は一つしかない」ことを実感できるということだったのだ。「おれたちはみんな別々の世界に生きているんだけれど、それでも世界は一つしかないのだ。」そう、それでも世界は崩壊しないことになっている。

皆様、ご家族お揃いでよい新年をお迎えください。

安井 猛

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なりたい自分になる秘訣

安井 猛(PhD)

今年も皆様には弊研究所に繁々足を運んでいただきました。共に学び、ともに語り、日々、少しずつですが、生きるための知恵を集め、それを参加者の皆さんに伝えられたらいいな、そしてそれに相応しい体制を地道に作っておきたいと思いながら研究所を運営してきました。これが今年どの程度うまくゆき、どのように皆さんが弊研究所のメッセージを受け取られたか?よくわかりませんが、いずれにしても今年も暮れようとしております。この時に当たって何を特に心掛けたらよいのだろうか?どのような展望を持ったらよいか?また、どんな展望を持てるものなのか?

この『言葉と沈黙と』の冒頭のページ、「読者の皆様へ」の中で筆者は、人それぞれ個人なのだから、自分固有の生き方をしたらよい、そのための模索をしたらよい。そうしても世界はこの私のゆえに崩れ去りはしない。だから安心して自分の生き方を選べと書きました。これをもう少し分かり易く書くとしたらどうなるか?

先ず、自分の持つ可能性の範囲内でということになるが、いま本当にしたいことは一体何か?と問うこと。それぞれの人に「いま本当にしたいこと」があるに違いない。これまでしたいと思ってはきたけれども、他人のことが気になるとか、する勇気がないという理由から控えてきたことは一体何か?これをいま一度考えてみる。それで足りなかったら、二度も三度も考えてみる。そのための時間を執る。考えつくまでしつこくこの問いに留まる。これは簡単だと思ってはいけない。ここのところで挫折する人の数は多い。だから、何とか考え抜いて答えを見つけ、実行するために綿密なプランを立てる。

数日前、或る婦人が私に目を輝かせながら、1週間の日程でドイツのクリスマスマーケット廻りをしたと話してくれた。彼女はこのプランを半年前から心に温め、準備に取り掛かり遂にこの度を敢行した。彼女には凄い経験だったらしく、帰宅後もまた行きたいを繰り返し言っていた。

世の中には実現できないことばかりだと思いがちだが、本気になればできないことは何もない。望み方が足りないというに過ぎない。このご婦人は英語もドイツ語も話せなかった、しかし彼の地で沢山のことを見聞したと語っていた。今はクリスマスと年の暮れを待つ時期で日本ではできないことを経験したらしい。土曜日の二時から日曜日の夜になってもドイツの店は閉まっている。これにも彼女は驚いたらしい。また同世代のドイツ人たちにも会ったが特に男性のレディファーストには感動し、「すごく親切!絶対また行きたい」と言っていた。

そう、また行ったらいい。何事もやりたいと思ったらやり遂げられる。
自分の欲求を知り、自分の望みを大事にする。これが第一の関門。
これを認識しよく準備しさえしたら、それに続く関門はもうない。
それで夢は叶ったのも同然。
そのあとはただ、したいことをする準備を整えるだけだが、これも全く難しくはない。
情報を集める。
必要であれば仲間を創る。
資金が必要であれば計画的に貯める。
実行する。これだけのことである。
これからなりたい自分があるとするなら、それがどういう自分であるかをイメージする。
自分を、人生を今から変えられる、なりたい自分になれると強く想う。
今からでも遅すぎはしない。
なりたい自分を将来的な仕事につなげることも悪くない。
三十代、四十代、五十代、六十代等々、自分にフィットする自分を見つけさえすれば、何にでも成れる。
例えば、あなたは五十歳。今から定年後に向けて準備するなら、実現しようとする夢は、将来のもっと大きな夢の実現とどう結びつくか?
課題を成功裏に消化する将来の自分をイメージしてみる。
イメージするのが難しいなら、イメージの仕方を学習する。
毎日15分、イメージづくりに捧げる。
金は一銭もかからない。
人生の成功と幸せのカギは、夢を見る自分を自分に許すことの中に在る。
勿論人間は環境によって作られる。
気がついてみたら、造られてしまった自分を発見する。
造られた自分が先に在る。
造られた自分はそれまでの自分を運んでいる。
運ばれてきた自分を見つける。その中にはすべてが含まれている。
可能性を支えるすべての条件がその自分の中にはある。
この条件をじっと見つめる。それが支える将来の可能性を理解する。
そして、将来の可能な自分をイメージし続ける。
あなたはイメージされた人になれる。
その人があなたの中で働き始める。
あとは、あなた自身が一つの働く姿となるだけである。

それで、夢が、望みが、実現したのである。

おわり

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ソーシャルワーカーがフランクルのロゴセラピーを学ぶことの意味

千葉 史也

学生時代に遅ればせながらも受験勉強のために世界史の参考書を開いたとたんにつまずいた経験がある。人類は都市国家を建設した。中国は邑、ギリシャはポリス等々城壁を巡らした「国家」の内部には市民と呼ばれる身分が誕生し、「人間について」「社会について」知的な議論を交わしていたことが記述されている。なるほど、しかしこの人々はどのように生きるための食糧を得ていたのだろうか。自然の恵みに頼ることができたのだろうか。当時労働とは全く無縁な身分で、教科書と受験参考書だけを頼りに「市民生活」を送っていた自分には、「市民」が労働と隔絶した非生産階級の一部であり、現前に記されている歴史とはそれら支配階級の世界観に他ならないことを見抜けなかった。おそらくは多様な労働と生産が都市国家の内側にも外側にも存在していたはずである。そしてそこには未だ文字になしえずとも多様な文学(楽)が存在していたはずである。その後「市民」の中から、ソクラテス、プラトン、アリストテレスと賢人が登場し、やがて今日の実験や統計的手法を基礎とする実証科学へと発展する。同時に科学は支配あるいは統治の基盤をより強固にすることに役割を果たした。

さて、ソーシャルワーカーも社会経済を構成する職業の一部であることから、今日の経済状況から全く自由ではありえない。そうした中で、ソーシャルワーカーとは何か夢想的に語り合った学生たちは、卒業後それぞれの進路において実践に携わりながらソーシャルワーク固有の領域、固有の方法論を見出すべく現実的に格闘していると思われる。

そこで、フランクルが唱えた有名な3つの価値に照らして労働世界を考えると、一般的な解釈とは違うが「体験価値」が現在の経済状況において最もふさわしいと思われる。しかし単に地位と報酬を目的とする経済活動としてではなく、ソーシャルワーカーにふさわしい精神的価値を目的とする活動として体験されるためには、関係それ自体を生きる価値(態度価値)、存在それ自体の精神性を生きる価値(存在価値)への関与を伴わなくてはならない。それらの価値を学問的に類型化するならば、哲学および文学がこれに応じるのではないか。ゆえに、フロイド、ユングの著作も単に実証科学の知識の断片としてではなく、関係と存在を探求する哲学書、文学書として読み込んでこそその活動に価値をもたらすものと思われる。あるいはそのように臨まない限りいかなる偉大な功績もソーシャルワークには何の関係もない事柄となるであろう。こうした体験価値を創造価値へと昇華し発展させることこそソーシャルワークの固有性を実現するということであろう。その手段をいかに開発あるいは発掘するかそれぞれの課題であり同時に希望ともいえるのではないか。

以上

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只今継続中の私の活動

青木 淳子

今日は、私の日常生活の多くの部分を占めるNPOの活動の事を書かせていただきます。
私が仙台に来たのは、1999年4月。その年の6月に当時の市長さんが「仙台にホームレスはいない」と書かれていたのがとても印象に残りました。
なぜなら、それまで暮らしていた東京では、多くのホームレスの人々がおられたからです。
隅田川沿いにたくさん並んだブルーシートの小屋掛け、駅の片隅で眠る人々、炊出しに並ぶ多くの人々…女性もいました。

その冬、初めて経験する東北の寒さに驚きました。そして、この寒さの中、路上で生活している人たちがいるらしいと聞き、2000年のお正月に友人夫婦と食事をしている時に「夜に廻ってみよう」という事になりました。(酔った勢い?!)
私達夫婦の子ども達は、全員離れて暮らしており、私は職についておらず身軽でしたから、夫と友人に荷物持ちの様な形でついて行く事になりました。
お湯の入ったポット、紙コップ、インスタント一口みそ汁、みかん、ゆで卵などを持って、夜の8時頃から深夜まで、仙台の夜の街を歩きました。
初日になんと30人を超える方と出会いました。その方々に「あそこにもいるよ。ここにもいるよ」と聞き、すぐに60人を超える人々の所を廻る事になりました。
雪が積もる公園の片隅で、ブルーシートも無く、段ボールを敷いて新聞紙をかぶって横になっている人たち、駅などの階段で毛布も無く縮こまっている人たち、凍死しないように一晩中歩いている人たち…。中学を出て都会や炭坑に働きに出、働けなくなって戻って来たお年寄りたちに出会い、夜まわりを止める事ができなくなりました。

当初は、自分のお財布を開いての活動ですから、いつまで続けられるかと思っていましたが、その心配をよそに、一緒に夜まわりに加わってくださる方達やカンパをくださる方々が次々に起こされました。

2000年7月には『お腹いっぱいご飯を食べて、明日からの事を考えようよ』という呼びかけに、100名を超えるホームレスの方々が公園に集いました。

その後、ホームレス当事者の方々の切なる願いにより、衣類や毛布等の支援物資配布、建物の中でゆっくり座っての食事会、シャワーや洗濯、散髪等の提供、自律の為のセミナー開催、アルバイトの提供などと活動は広がっていきました。
仙台市に住所が無いと路上を脱する為の問題解決が何も出来ないという事で、簡易住宅の提供も始めました。一番初めに、居宅の支援をしたのは80歳間近のR・Sさん、女性でした。
また、行政との懇談や恊働も行い、支援の仕組みを考え、より厚いセーフティネットの構築にも参与してきました。

私たちのNPOがいらなくなる社会を作りたいと願って活動していましたが、震災後は、震災関連の仕事を求め全国から人々が来て、さまざまな理由で失職したり離職したりで、今も路上には100人を超える人たちがいます。
その他にも、ネットカフェ住まいや車上生活をしながら仕事に出ている、いつ路上に陥ってしまうか分からない人たちがいます。

ほぼ毎日、何らかの活動をしていますが、現在、私が実際に支援活動に参加するのは、週に2日位。後は、事務局での仕事や会計などをしています。 この夏、支援活動に高校生達がボランティアで来てくれました。
その時に「なぜ、ずっと続けてこれたの?」「とても楽しそうで驚いた!」との感想をもらいました。
しばし考えたのですが、自分が真剣になれる時だから楽しいのかな…と。そして、いろんな仲間がいるから続けることができたのかなと…。

ホームレスは福祉法の範疇に無いので、国や県、市などの補助金等がありません。
何をするにも工夫が必要です。これまでさまざまな困難がありましたが、それ等を乗り越える楽しさもありました。
40代、50代だから出来た事、60代だから出来る事があるのかもしれません。
それを探し求めながら、日々を歩んでいきたいと願っています。(いつまで?!)

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ウオーキング

会社員
千葉 幸恵

身体のことを考えて、去年から通勤時間を使い一日8000歩を目標にウオーキングを始めた。
新しいシューズを買い、春という季節に始めたのが良かったのかどんどん楽しくなり、8000歩には到達できない日もあるが今も毎日続けている。

週末になんだか身体がむずむずすると思ったら、
歩いていないからなのだ と気が付いて夕方散歩に出ることもある。
若い時にこれといった運動をしてこなかったので、
スポーツをする人が「身体を動かすのが気持ちいい」というその感覚がわからなかったが、
最近は身体を動かす快適さが少しわかってきた。
なにより身体を動かすと、気持ちがスッキリ晴れ晴れとする。習慣になることで身体も意識も変わるというのは凄いことだと思う。

身体と同じように心で起きる考え方の癖を直そうとしているがこちらは至極難儀で時々「三つ子の魂」ということをしみじみ考えさせられる。

一方で 毎日歩くその積み重ねが私の身体を長時間歩ける身体に変えてくれる。
習慣が意識の変化をもたらしたのだから心の癖も直したい自分の努力を、毎日のこととして積み重ねていれば良いのではないだろうか、と思う。
そう考えて取り敢えず取り組まねばならないと思ったことは3つになった。
◇ 葛藤と混沌を恐れずに 自分の手足で心遣いのある行動に移す
◇ 後悔することを止め 次に活かすための工夫を常に試みる
◇ それをやり遂げることは自分にも出来る と 信じること、だ
これを書いている今は、実行に移し始めたところなのだが
ウオーキングを始めた時の筋肉痛にあたるようなことが、私の心身に起きているのが自分にもわかる・・。やっぱり・・・・と想わせられている。が、
新しいことを、それとして始めたのだから当然だ とも思い、歩くことを止める気にはならない。

今日も私は 筋肉痛に負けるな このままありのままに進め と
自分自身を励ましながら 歩いている。

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松田 史子

マンションの6階にある家のベランダから外を眺めていたら、一周忌をむかえる愛犬がよくベランダの花の匂いを嗅いでしっぽを振りながら歩いていたことを思い出した。
何年も前からベランダではバラやもみじなど様々な植物を育てている。

ある時ふと見ると1つの鉢にどこから種が飛んできたのか小さい芽が出ていた。しばらく観察しているとやがて幹ができ、枝葉をたくさんつけて現在は80cmほどに元気に成長している。
ふと、このたくましく育っていく姿がどこか人間の生き方と繋がっているようにも思えた。

人間もこの種のように生命が宿り、やがて変化して体ができ、この世に誕生し、それぞれの環境で育っていく。

植物が新しい芽を出すように私たちの細胞も日々新しくなる中で、
やがて喜怒哀楽という感情で心が支配されていたり、
自分の身の回りで起きる様々な出来事に心が揺れ動くこともあるだろう。

年齢を重ねると、どのような環境にあっても、自分の感情に飲み込まれずいつも穏やかな心をもちゆとりがある生活を送りたいという思いが強くなる。
そのような中で、多くの経験を積み重ねながら、どうすれば一本の幹を築くことができるのかと思う。

今年はリオでオリンピックが開催され、神業とも思える演技に圧倒された。
個人戦で敗れても気持ちを切り替えて団体戦で頑張りますという選手が何人かいたが、この気持ちの切り替えは、悔しさを凌駕し自分の感情をコントロールしていると考えられないだろうか。

物事はいつもうまくおさまるとは限らないが、どんな出来事も人生の刺激の一部として肯定的にとらえ、それらを対処し改善していく姿勢がオリンピック選手に感じられ、
オリンピックとは程遠いが、日常で何かに躓くことがあれば他の人の視点はどうだろうと想像したり、または人の話を聞くことであらたな発見をしたり、考え直せたりできることで自らの感情にのみ込まれずにすむかもしれない。
自分の周りで起こる人間関係や病気に関することもそういうものなんだろうととらえ、物事に対し余計なこだわりを捨て、シンプルに受け入れていきたい。

また時間を上手く活用するためにも生活習慣の長年のパターンを見直し、
90歳の母のように脳トレをしながら楽しむ努力を忘れず、自主的にネットから新しい情報を検索し、事実と異なることに振り回されることなく、大切な情報を取り入れながら今後も社会と関わっていきたい。

以下、松田史子さんのお母様からのご寄稿7枚です。

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ご縁というもの

盛一 美那子

先回寄稿させていただいてからまだ1年も経っていないけれども、この短い期間にこれまでにないほど随分とたくさんの場面に遭遇し、それに比例するかのように深く考える機会を与えられた年でした。

この度の寄稿にあたって、いくつかのお題が提示されていました、それを眺めているうちにこれまでに出会ってきた方々に想いが至り、お題の一つである「縁」という言葉に触れずにはいられない思いが湧いていたのです。

私の半生には全く縁遠く、将来にもそうそう必要とする機会など無いであろうと確信を持って思いこんでいたパソコンの操作習得、ビジネスに関する知識研修の場を与えられたことがこの度のご縁になったようです。
三か月の短期間訓練という大変さに翻弄されながらも家族を始め多くの方々からの応援と助けを戴いて、何とか一つの目標を達成できたのですが、この度の経験をきっかけに今日に至るまでの道のりを振り返った時、どの場面を切り取ってみてもその都度新たに、人生の広がりを実感させられ、ご縁という言葉に思いが引き寄せられていました。

それぞれが置かれた状況やタイミング一つを取っても、ほんの少しずれていたら同じ場所には居合わせなかったであろうと思う人たちが、或る日或る時をきっかけに志を一つにし、互いを勇気づけながら真剣に授業に取り組み、年配層の自分が若者達と共に密度の濃い時間を共有でき、実り多い日々を過ごしていた。このご縁は三か月という一回限りではあったけれど、共に過ごしてきた時間の長短でその深淵の度合いを測れるものではないことにも気づかされます。

一人の人間が一生の中で巡り合える人の数には限りがあると思いますが、その一人一人との巡り合わせを詳細に想い出してみると、どの場面を振り返っても偶然という一言で追いやれない思いが湧きます。
今、その延長線上で新たなご縁ともいえる職場を与えられ、この巡り合わせに日々を励みながら、期限を定められている仕事であるがゆえに一層感慨は深い。

遠 ⇒ 縁 ⇒ 援 ⇒ 延 ⇒ 円(まる)

自分の来し方を振り返り思いが収まった、同じ音色の「えん」。 ご縁の不思議さに想いを寄せつつ、この先のつながりにも思いを馳せる・・・。

記 平成28年8月15日

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お墓

佐藤 順子

先日同級生のお母さんが亡くなられた。
その知らせを聞き、当時の仲間が集まりお焼香に伺った。
実はその時、このお題である<お墓>にまつわる話がいろいろ出てきたのだった。

今回亡くなられたお母さんは数年前に他界されたご主人さまのお墓には入りたくない
と意思表明されていたというのだ。
ご主人さまのというよりご主人さまの家のお墓ということかもしれない。
訊くと一緒に伺った仲間の中にも同じような想いを持っている者がいた。
また、自分の実家のお墓の 墓じまい を考えている者もいた。
さらには自分の代はまだよいにしてもそのあとを次ぐ者がいない……とか。
将来のお墓の維持など、さまざまな問題が次々にでてきた。

私はこれまで父、祖母、祖父の三人を見送った。
お墓については祖父が建ててくれたのでお金の心配をすることもなく、
火葬から埋骨までこれといった問題もなく過ごしてきた。
区切り区切りの法事も当たり前のこととして事の流れに任せて行ってきた。
要するにこれらのことについてあまり深く考えていなかったのである。

ではここから先を考えてみることにしよう。
今後歳の順からいくとまず母を送ることになるだろう。
先の三人と同じように送るとしたら以前の貯えとは少々事情も変わってきているので
それなりの準備が必要であろう。具体的に言えばお寺さんとの交渉だろうか。
さらに自分達夫婦もいよいよ見送られて埋骨されることになったとしたら、
そこから先のことについては私にはどうすることもできないのだ。
当然誰かに託すことになるだろう。
現時点で我が家には娘二人がいるが、友人の知り合いのように嫁に出してしまえば
別の家を守っていかなければならない人間となるかもしれない。
そうなるとかなりの負担をかけることになる。
また、どちらかが生涯独身でいたとしたらこれもまたいろいろな意味で負担を
かけてしまうだろう。
そう考えていくとなんだかお墓とはなかなか厄介なものに感じてしまう。

ではそもそもお墓とは何だろう?

調べてみると次のようなものがあった。

物理的には:故人のご遺骨(魂の象徴)の置き場所、故人を偲ぶための大切な場所
記念碑的な存在

精神的には:非日常的な性質が強く、より「死」と向き合うことができる場所、
故人を身近に感じながらコミュニケーションをしっかりとすることができる場所、自分の心を整理する、自分を励ますことができる場所

家族的には:家族のつながりを再確認できる場所、子供の心の教育(家族への信頼や、他人に対する慈愛の心を育てる・目に見えないものの価値を考える姿勢を育てるなど)の場所

社会的には:家族だけではない、親戚や知人など、誰もがいつでも故人を偲ぶことができる場所

確かに厄介なものとしてしまうのは失礼であった。
現に我が家のお墓は現役で大切な仕事をしている。
家族のつながり、親戚、知人とのつながり、どれもみなをうまく絡めてくれる。

しかし、実際問題として我が家だけではなく将来の担い手が減っている、もしくは消滅しているのも事実だ。今すぐに解決できる問題ではない。
家族でじっくり話し合って行きたいと思う。

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特集:一日生涯塾

2016年8月20日(第3土曜)

場所:日本ロゴセラピー&実存分析研究所
指導:認定ロゴセラピスト2人 安井 猛&やすいうゐこ
講話:弊研究所所長 安井 猛PhD

予定時間割 内容詳細 ご案内

9:00〜9:20

瞑想・坐禅・腹式呼吸
調心・調息・調身(畳マット使用可)
ご自分の体調や好みに準じて、横たわる方も、規則的に腹式呼吸を繰り返してください。ほぼ15分経つ頃には呼吸を元に戻してゆっくりと瞑想の世界から現実に戻ってください。
起き上がる時は体の向きを横にして、片方の手で支えながら上半身を起こします。坐したままで静かに前かがみに。血の巡りをよくさせます。

9:20〜

休憩

9:30〜10:00

講話 「自分をどうする?」 安井 猛
講話は長くはありません。主に講話内容への質疑や応答で考えることの軸を自分で作っていきましょう…。
最終目標は 自分をどこまで変えることが出来るか。
自分がどこまで変わることが出来るか
変わるということにまつわる忍耐とは?
忍耐を続けて そこから何が生まれるのか
等々 尋ねたいことは沢山出て来るはずです…。質問の内容は平素の生涯塾で考えるテーマになる事柄だと思います。しっかりメモしておいてください…。

10:00〜10:20

休憩・ブランチの支度(各自ご持参・交換ご自由に)

10:30〜11:30

ブランチ・近況・話題交換

11:45〜

コラージュ創作の準備
材料:雑誌から あなたのイメージに合うものを探して、見つけたら、切り取って、どういう配置に張り付けて何を創るかイメージを躍動させてください。
添付のテキスト:「コラージュ創作療法」もご参照ください。

12:00〜14:00

コラージュ創作 しっかり楽しみながら挑んでください。

14:00〜15:00

瞑想気功(復習したい気功がありましたらお知らせください。畳マット使用可)
皆さんからのご希望に由りますが、なければ「天空を舞う龍」の稽古をします。

15:00〜15:25

休憩・茶菓 ゆっくり茶菓を愉しんでください。そしてきょうはこの時間のために特別なお話しを柴田三智子さんにお願いしました。既にご存知の方もいらっしゃ  るかもしれません。数年前から「網膜色素変性症」という眼の疾患を抱えておられます。私もきちんとお話を伺うまでは解らなかったのですがお話を伺えば伺うほど、これから年齢を重ねる私たちにとって、この病を持つということはどういうことなのか、柴田さん御自身がその支障とどう向き合っておられるのか、どのように私たちが行動をすれば、本当の助けになるのか、容易に見える者には想い及ばない知恵も沢山お持ちだろうと思います。弊研究所での9年以上のお付き合いになる柴田さんからきょうは人としての宿題や課題を教えて戴きたくてお願いした次第です。

15:30〜17:00

講話・コラージュ作品評 安井 猛
出来上がったコラージュ作品に秘められている想いを見つけて評価をしていきます。いつも申し挙げていますが、ロゴセラピ―上の批評や論評というのは、良いとか悪いとかが重点でありません。そうではなくて、何がどのように表現されているかを読み取り、創作者の5年先、10年先20年先を見据えて今からある程度のことは計画性を持って危機管理も携えて、考えるためのものであることにご留意ください。

17:00〜17:15

瞑想・一日の終わりに感謝して・・・
夕食 牛タンカレー取り寄せます。
17:30頃にはバスの都合でお帰りになられる方のためにこの時間の夕食になります。御諒承ください。

18:00〜18:20

〜22:30

休憩・コラージュ作品の修正・完成させる或いは二つ目の創作にかかる等々・・
一日の内に想ったこと・気付いたこと・解らないこと・これからのこと・これまでのこと等々あれこれ。土曜日の時間をたっぷり将来へ続く談話ができますように心から願っております。

2017年度一日生涯塾 9月第3土曜日AM9:00〜PM22:30

主催:日本ロゴセラピー&実存分析研究所・仙台
講師・指導:認定ロゴセラピスト 安井 猛 & 認定ロゴセラピスト やすい うゐこ

(詳細は後日 お知らせいたします。)

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コラージュ創作療法 ロゴセラピスト教育研修資料より抜粋及び要約

1)既に存在する作品(写真・雑誌・文字以外)から、受けたインスピレーションを活かして、作品を切り取り、それを素材にして インスピレーションを膨らませながら、創作に必要な次の作品を探す…。

2)コラージュ創作は、自分自身の現実感を盛り込むと同時に、その現実を突破するパワーや理想などを表現することになる。

3)切り取るための資料がどさっと目の前にあることがこの創作を援ける。
そして、コラージュ創作は一つの芸術であることに目覚めさせられる。

4)現実も理想もその人の中で絶えず変化している。その変化していく現実や理想の一瞬をとらえて今の自分の表現したい部分を創作に運んでいく。

5)どのような現実を創るか、どのような理想を手に入れるか、それは自分で決めねばならない。自分で決めた分だけが、自分の現実であり、理想である。

6)詩があり、散文があり音楽がある。作曲し、作詞する。絵を描く。絵を観賞する。ハイキング、ピクニックをする。それもまた芸術である。ジョッギングやマラソンで體を動かす。時には極限まで動かす。その中で生き方の発想が出て来る。或いは生き方の発想も変化をする…。

7)弊研究所では、コラージュ創作を心理療法の助けとして使っている。雑誌や印刷物を集め、鋏と糊と画用紙さえあれば良い。ある意味、単純で安上がり、少しの知恵があればいい。アイディア作りは人が助けてくれる。創作者は楽しみを得る。格別な指示は不要。心理療法の理想的な補助手段なのである。

8)コラージュ創作者は、素材を集めるが、どのような素材を選ぶかについては全く自由である。何を選んでも良い。素材との出会いは大抵の場合偶然である。アイディアは材料の収集や創作課程の中ではじめて明らかになる…。

9)コラージュの主題は偶然ではあるけれども、一つの主題が形成され、それが作品として現れるということは、動かせない事実である。偶然できたのだけれども、そこには創作者の現実とそれに対する思いや感情が現れている。
その思いや感情を拾い上げそれを言語化する。言葉で表現する。これ自身が一つの課題となる。

以下詳細部分省略
著作権 安井 猛(PhD)

【責任者】
ドイツロゴセラピー協会認定ロゴセラピスト
日本ロゴセラピー&実存分析研究所・仙台 所長 安井猛 PhD

弊研究所でのロゴセラピスト養成教育研修はドイツ・テュウビンゲンロゴセラピー&実存分析研究所との提携で行っております。
無断掲載・無断索引厳禁

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コラージュ創作中 弊研究所内

2016.8.20.11:45〜15:00 コラージュ創作
モチーフを考え乍ら 資料探しが始まりました

初めての方は慣れた方に教わりながら・・・ぼつぼつできあがりそう・・・・、中にはマンダラとコラージュを組み合わせた創作品も出来たようです…。

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コラージュ創作品

働く喜びを覚えて、これまで手掛けたことのないことに挑戦してみたい…と創作者の弁。

馬と子供たち・ペンギン・サンタを待トナカイ・バッファロー・鳥・洞窟壁画に描かれた人間・昼寝のチンパンジー。動物が大好きな方のコラージュ。

千代紙切り抜きマンダラは切り落とした部分も模様の中に活用出来ます…。

コラージュのための写真を探しているうちに子供の頃に住んだことのある島の写真を見つけて突然モチーフがきまった方の作品、ハートの輪は千代紙切り抜きマンダラです…。

日常のあらゆることを記憶にとどめておきたいと思うと同時に時の流れ、毎日の刻々が大切に想われるのです…と語ってくださいました。

遠くの物も近づくにつれて次第にはっきりと見えてくる。見える範囲は両の手を顔の前に並べた広さ、それを千代紙で表現しましたと語って下さった、明るく優しい千代紙切り抜きマンダラのコラージュ。

設計のお仕事が日常の方の作品、コラージュ創作は初めてだそうですがすごいインパクト。 バックの黒は夜空、千代紙切り抜マンダラは夏の夜空を鮮やかに染める花火、とのこと。

魚釣りは船で・・遠方旅行はフェリーで・・・ご家族との想い出をコラージュに。

参加者で出来上がった創作品の品評と感想、創作者の感想、人生観の交換等々・・数時間の談話になりましたね…。

動物のコラージュとはまた違った印象の千代紙切り抜マンダラの花火、折り紙を使った作品が時間内に出来なかったのでうちに帰ってつくってみました、と翌月の定例生涯塾にご持参。素敵な夏模様。

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ひとりぶつくさ -11- おさなご新聞

やすい うゐこ

お父さんは 岡野高盛先生、ご長男は岡野喬木先生、次男は岡野守也先生・・・。

今朝のことです。主人が一冊の本を開いて、あなたこの人知ってなかったかなぁ・・・と尋ねるのです。「・・? 知らないと思うけど…」「いや、知ってると思うんだけどなぁ」の押し問答。「名前はなんていうの?」 「岡野守也さん、この本を書いた人でね、スーパー凄い本なんだよね。もう一人凄い人がいてね、つい最近に亡くなったんだけど吉福伸逸っていう人とトランスパーソナル心理学について対談をしている。これがまたピカイチなんだよ。」これまたすごい迫力で語ってくれますが、岡野守也さんという方に私には憶えがない。

「私の知ってる岡野さんは多分本は書いてないと思うけど…」想い出そうとしてもどうしても想い出せない・・・また、尋ねられて返答ができない・・、もう、まったく、どうしていいのか・・・、丁度食事の支度をしている最中でもあり、尚更ぐずぐず思いあぐねていたその時、あっ! 突如 想い出した!!

あれはほぼ14・5年前になる、ドイツに居た頃から興味は持っていたが、パストラルケアラー(牧師職)の合間には時間が足らなくてできなかったロゴセラピーの研修と資格を取得するために、フランクルの愛弟子であり、ドイツでは牧師として同業仲間であったクルツ教授のもとへ通い始めた。クルツ教授は彼自身のロゴセラピーの先輩からテュービンゲン実存分析研究所をやはりフランクルの寵愛を受けていたハディンガー氏と共に譲り受けて、それをロゴセラピーの講師及びセラピストとして運営していたのである。

そのテュービンゲン実存分析研究所へ物好きな日本人が一人、熱心に年に四度、一度行けば1週間の勉強で缶詰状態を6年半ほど続けたことになる。

日本から通って数年たった頃、所長のクルツ教授から、日本に自分の研究所を開設して仕事を始める準備に掛ってもいいよ、と薦められた主人。当時勤めていた大学の仕事の傍らロゴセラピーを通じて社会貢献は必ず出来ると確信し、わたし共は細かな試算をしたうえで、家計の方を贅沢しなければやっていけるという確信もあったので、研修室・セラピールーム・事務所 に使える賃貸マンションを借りる手続きを済ませ、2007年7月15日に弊研究所を開設した。

それは、私たちにとっては主人がドイツでのパストラルケアラーとしての仕事の傍ら 一般社団法人『出会いと生活〜自己へ至る一つの道』という活動をしていたその延長でもあった。

日本で、それもまるで縁故のない仙台市で、格別な計画を立てたわけではないのに、やるべきことがふわっと目の前に、わたし共の中に舞い降りてきた。そこでやらねばならない次の仕事は、ありとあらゆる知人友人たちに日本ロゴセラピー&実存分析研究所・仙台の存在を宣伝せねばならない…、と同時にわたし共自身が深く自覚し、できる!やる!確信を持たねばならない…で、沢山手紙を書いては送り続けた。読んでくださった方々から電話もきた。返信も送られてきた。その中に、わたしにとっては恩師であった方の息子さんの岡野喬木さんからもお手紙が届いていた。岡野喬木さんはわたし共の仕事が、彼の弟さんが既に手掛けておられた仕事と似通っていることに興味を示されて、冊子を数冊同封してくださっていた。その著者が岡野守也先生だったのだ!!!ラジオ・テレビなどでもおなじみで大活躍の先生らしいことも手紙の中に記されていた。

ようやく想い出したことを主人に伝え、ひとしきり思い出話が続いた・・・。

岡野守也先生は主人と同年生まれ。思えば思うほど何という奇遇かと少々鳥肌も立ってくる。 今、主人は私が想い出したので安心したのか、守也先生の書かれた『トランスパーソナル心理学』の本に魅了されて読み耽っている。
岡野喬木先生にはもうお二方ご兄弟がある。お名前は存じ上げないが、お一人は兵庫県にお住まいで岡野オルガン工房を経営、教会用電子オルガンの受注製作をなさっておられるという。もうお一方は横浜の関東学院女子短期大学の図書館で重責を携えてお勤めとのこと。
日本の国で、お子さんが四人とも教会に関係のある仕事をしておられるという、稀有なご家庭のような気がして今頃になって圧倒されている…。

そのお子さん達の父親が、たった一度だけしかお会いしていないのに、わたしにとっては終生心の糧を教えて下さった恩師・岡野高盛先生なのである。
出会いは鈍行の車中。わたしは小学三年生の終わりころ、厳島へお別れ遠足という学校行事の帰路。友達と四人で固まって乗り込んだ。小児麻痺の友達のために空席探しを急いだ。在った。大人三人分もの空席があった。スイマセン、ココイイデスカ?
座っていた方は黒縁だったと思う、メガネをかけて、黒い背広姿。どうぞいいですよ、とやさしく応えて下さった。

座って四人とも一息入れた頃、先生は、遠足ですか?何処に行ったの? と話し掛けられてわたしたち子供たちとあれこれおしゃべりが進むうちに、わたしはこれから東京まで行くところなんですよ、皆さんはおうちに着かれたら、おじさんにお手紙を書いてくれませんか?とおっしゃりながら四人一人ずつに丁寧にお名刺を下さいました…。
大人の方とのこんな出会いは初めてのこと。家に帰って誰にということなしに食卓で出来事を話したら、ふ〜ん、へぇ〜、めずらしいぃ〜、おもしろそうぅ〜〜…という両親の反応、しめしめ反対されないで佳かった^^。数日後には一所懸命お手紙書いて母から貰った切手も丁寧に水気を含ませてポストまで行って投函した。それから何日か経った頃に子供の私宛だが、母は これ来てるよ、ちゃんと返事書いて下さる方なんだねぇ、と言いながらわたしに渡してくれた。

少し大きめの、家庭では見たことのないB5版の封筒だった。わぁ、何だろう、ドキドキ・興味津々 大きな鋏で封を切った。そっと取り出す。と、『おさなご新聞』の字と並んで、淡い水色の聖画が眼に飛び込んだ。内容は忘れてしまっているが、自筆のお手紙もちゃんと添えられていたことは憶えている。

一緒に名刺を戴いた友達は、三人とも子供の足で歩いて15分くらいの処に住んでいたが、そこの区域は春からとなり町の管轄になって、通う学校も変わり、放課後に家まで尋ねていかねば会えないことになってしまった…。それで、お別れ遠足だったのだ・・・。

数回くらいは逢いに行ったかなぁ・・、先生との文通は三人とも学校の勉強が厳しくなって長くは続かなかった様子を話してくれていた…。わたしはといえば、その頃既に読書三昧は始まり、放課後は図書館に入り浸り、家では父親の書棚にある本を次から次へと読み耽っていた…。であるから、勉強には興味がない…という子。ヤル気になったのは絵を描く時間だけ。

何故なのか・・・。小学三・四年生。大人を見ながら、手伝いをさせられながらも、自分の態度を少しずつ決めていく年齢である。わたしの中には重いものが芽吹いていた…。ヒロシマの原爆を生き残ったとはどういうことなのだ、何かの意味があるのでなければ生き残らされているはずはないだろう、誰彼に語り掛け尋ねることの出来ない重み、天に向かって怒鳴り散らしたいほどの疑問を抱え続けていた。その頃に、『おさなご新聞』に出逢い、疑問に想ったことを岡野高盛先生に書いたりもしたのだろうかと思う。

曾祖父祖父母叔父叔母両親ともに仏教の伝統や影響の濃い家に育ちながら、わたしの想いは定期的に送られてきた『おさなご新聞』の中で丁寧に説明が書かれていたイエスの言動にどんどん惹かれていったのである。高校を卒業したら働くことは当然のことと考えていたから、自分の働いたお金で教会に行くという宣言まで親にはしていた…。

途切れ途切れではあったけれども岡野高盛先生との交信は1978年に 70歳で永眠される直前まで続いていた…。

2016年12月20日

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こころの奥深くから飛び立つ詩

Rudolf Leitner-Gruendberg

Tuer an Tuer wohne ich mit Euch
わたしは貴方たちと隣り合って住んでいる

Gedichte v. Innen her befluegelt
こころの奥深くから 飛び立つ 詩

Druchlaessig sein
Fuer das Licht,
Ausstrahlung
Von der mitte her.
In sich schwingen,
Bewegung hin
Zum Leben.
- Engel -
sein.

ひかりを うけとめて 浸透させ、
その輝きを わたしの まんなかから 放つ、
わたしのなかで いきいきと 振動し、
いのちにむかって 躍動する、
それが ― 天使 ― 
であることの意味

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トランスパーソナル心理学 とは・・・・

安井 猛(PhD)

私事で恐縮ですが、筆者は二十七歳の時、大学院で三年間の哲学が終わるころ、このまま日本にいても駄目になるばかりだ、この国を脱出しなければやってられないと思い続けていた時期がありました。丁度その頃に日本福音ルーテル教会の牧師さんから留学のシステムがあると知らされ、ドイツ留学を志願し、書類選考により留学が許可され、妻と二歳半の子供と共に渡独。ドイツの大学の規定に従って、ギリシャ語,へブル語、ラテン語、新約および旧約聖書学、教会史、組織神学そして宣教・宗教学を修めました。その後、教授に薦められるままに博士課程に進み、「キリストと仏陀」というテーマで論文を仕上げ無事卒業。

上記のような少々気違いじみたこともドイツDAADからの奨学金によって支えられていたから可能になったことを覚えて、今も彼の国の支援を受けたことに日々感謝の念を憶えて暮らしております。

前置きが長くなりましたが、「キリストと仏陀」を書いたことが、筆者が「トランスパーソナル」という用語を使うきっかけとなったのです。

新約聖書に「ヨハネによる福音書」というのが収められています。その全巻の冒頭に「はじめに言(ロゴス、ことば)があった」とあります。しかも、その 言(ロゴス)は神とともにあり、神だった、と言われています。 筆者は若い頃、このことに感動しました。そしてこの感動は今でもますます増大しています。
何故なら、この 言(ロゴス)によってすべてのものが造られたというからです。
できたもののうち、一つとしてそれに拠らないものはなかった、とも考えられています。

当時も今も、そもそもこのようなことを考える誰かがいたということ、これは素晴らしい ことだと筆者は思います。なぜって、世界に存在するものの由来をあれこれと考えて、一定の答えを出すという人が一体何処にいるでしょうか。だれもが生きることで精いっぱい、それだけでヒーヒー言いながら暮らしているにもかかわらず、もっぱら万物の成り立ちについてだけを考え続けることができる人はよほどの変わり者でしょう。しかも、万物が成り立つ 言(ロゴス)は同時に「いのち」そのものであり、この「いのち」は「ひかり」であって闇を照らしている。闇はこの「ひかり」には太刀打ちできなかったし、いまだにだれも太刀打ちできていないと言われる。

しかし、やはりそのようなことはあるのですね。わたしがここにこのようにしていることができるのはやはりこのわたしを支える永遠の言(ロゴス)が存在しているからのことでしょう。この言(ロゴス)が存在し働くからこの私があり、他人があり、さまざまなものがあり、世界のさまざまな出来事がある。いいとか悪いとかいう出来事があって世界には広がりと幅ができる。過去があり、未来へと進んで行く。無数の闘いがあり、無数の和解がある。すべてこのようなことの源である言(ロゴス)そのものはかつて一人の人、イエスとしてこの世界の中に現れた。人々は彼を見た、彼と寝食をともにした、その彼は実は宇宙の主宰者キリストだったというのである。

「ヨハネによる福音書」はキリストをこのように描写したのですが、筆者は宗教学を学んでいたころ、仏教でいう仏陀もまたそのようなロゴス・キリストと通いあう、理解し合うことがあるのではないかと考えながら、道元という十三世紀初頭に生きた禅師の著作を今日まで読んできました。ヨハネ福音書の世界と道元の世界は相互に浸透し合う、しかも宇宙規模で両方の世界は相互浸透し合うとの結論に達しております。そして人類の宗教史を見ていきますと、無数のヨハネがいて、無数の道元がいることもあきらかになります。

ここのところを押さえると、トランスパーソナル(超個・個を超える)という用語がここ五十年の間に定着しつつあることは理解できます。筆者はこの用語が日本にも定着し始めたことを良いことだと受け止めております。

そういう人の一人岡野守也という方が、彼の『トランスパーソナル心理学』の中に次のように書いています。
「… そうした学問的追及の中から、次第に『調和のとれた、不可分な全体・ダイナミックな関係のネットワーク』である自然・宇宙に対応した『調和のとれた・不可分な全体・ダイナミックな関係のネットワーク』としての来るべき人類社会のヴィジョンも提案されつつある。繰り返せば、トランスパーソナル心理学はそういう潮流の核になっている人間観であり、近代的な個人主義ヒューマニズムの行き詰りを超えるための最も見込みのある代案であると思う」と。

言(ロゴス、ことば)はロゴセラピーのロゴです。
実際、筆者の営む日本ロゴセラピー&実存分析研究所はヴィクトール・フランクルに繋がっています。フランクル自身が、一九六〇年代の終りにアメリカで設立されたトランスパーソナル心理学学会の発起人の一人だったのです。このような関連もあって筆者は、引用された岡野守也氏の考え方に全面的に同意できるのです。

2016年12月22日

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あとがき

*昨日、糸魚川市の大火はまるで戦火のよう。被災された方々には大変なショックであろうと容易に想像もできます。心からお見舞いを申し挙げます…。
こういう時こそが、自衛隊の真の出番であろうと切実に想わせられます…。

*ご寄稿戴いた皆様には半年近くもお待たせしました。お預かりしていた原稿もようやく第11号に纏めることができ、年内にお届けできることを喜んでおります。
今年8月には初めて[一日生涯塾]を試みましたので、その成果も付録として閉じております。ご照覧ください。

*きょうは12月23日。ヨーロッパのクリスマスマルクトは今日までです。24日夕刻から1月6日までがクリスマス・・・。国内では24日はクリスマスケーキを食べる日?
ゆっくりできるのは30日頃からでしょうか…。習慣にはこだわらないで好きなお菓子とコーヒーで本でも読みたいですね…。

*2016年度も世界中で争い事や自然災害による心配事の絶えない一年間でした。つい数日前にはドイツでテロ事件が起こったばかりです。日本では何といっても福島原発事故から6年目に入りますから、内部被曝と真剣に取り組まねばならない時がきました。放射能による被害はこれから20年30年60年…先まで増えていくのです。
「世界中どこを探しても、あなたの命は一つしかありません。
あなたは、この世にたった一人しかいない、かけがえのない存在です。
だからあなたは、自分の命を大切にして生きなければなりません。」
肥田舜太郎先生の著書「被爆と被曝」16頁に書かれている教えを想い出します。
70頁には、「何となく生きている、それじゃぁ放射線に負ける」とも書いておられます。

残念ながら、新聞TVには報道されていませんが、東北の一帯は既に放射能による汚染まみれということのようです…。これから、仙台市や宮城県がどう判断するのか未定ですが、放射線を含んだごみの焼却が本格化すれば、益々放射能汚染は拡散されます。
命を護る静かな闘いを疲れることなく励まし合いながら挑み続けましょう…。

*師走の慌ただしい中にもどうぞお幸せにお過ごし下さい。
皆様のご健勝と併せて心から祈念申し上げております。

本年度も大変お世話になりました。来る年酉年も皆様とご一緒に探求の旅を続けていくことが出来ますように・・・・
どうぞ宜しくお願い申し挙げます。

日本ロゴセラピー&実存分析研究所 編集掛 一同

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言葉と沈黙と

【単価】
税込 ¥1080,−

【第11号発行】
2016年12月23日

【発行者】
安井 猛 (PhD)大学教授
日本ロゴセラピー&実存分析研究所・仙台 研究所所長
ドイツ国一般社団法人ドイツロゴセラピー&実存分析協会(DGLE)認定ロゴセラピスト
ドイツプロテスタント教会・ヘッセンナッサウ(EKHN)認定パストラルケアラー

【住所】
〒980-0014 宮城県仙台市青葉区本町1-13-32(株)オーロラビル605

【ファックスのみ受付】
022-707-4582

【お尋ねはこちらへ】
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