スティーブン・R・コヴィー博士を悼んで

私たちの研究所で能力向上セミナーの折、誰かがふとスティーブン・R・コヴィー博士の逝去に言及しました。それから二、三日して、私は2012年7月21日発行のThe Economist誌シュンペーター欄に掲載されたコヴィー博士への哀悼記事を読みました。私は博士の考え方を研究所におけるロゴセラピスト教育研修の中において扱い、彼を身近に感じておりましたので、彼の死に心を動かされております。コヴィー博士は日本においても『7つの習慣』(1989)や『第8の習慣』(2004)などを通してファンを獲得しております。いま、産業界を始め各領域の教養層の人々の間で彼の業績や人となりが話題になっていることと思います。

コヴィー博士はロゴセラピー&実存分析の創始者、ヴィクトール・フランクルから影響を受けました。このような関連もあって彼の「7つの習慣」はロゴセラピスト教育研修カリキュラムの中に入ることになりました。弊研究所の教育研修は人格形成、教育一般、心理療法と並んで労働世界と経済をその支柱としております。労働世界と経済を他の三つの柱から切り離すことはできない。それゆえに研修生は労働世界と経済において起こることを人格形成、教育、心理衛生の観点からも理解できなければならない。このような観点から私はコヴィー博士と対話し続けております。彼は絶えず自己反省をし、バランスのとれた展望をとるよう刺激します。自己を信頼し、言葉と行為を謙遜さで味付けるよう指導します。焦点を、価値を行為に移すことに当てておられます。いま、私はコヴィー博士が言及された二冊の本の何処でロゴセラピー的人間観を引用したかを、二箇所考えてみたいと思います。

コヴィー博士は7つの習慣を論じながら、第1の習慣として「主体性を発揮する(be proactive)」よう勧めました。7つの習慣のすべてはこの第1の習慣から始まり、第1の習慣に終わるのですが、彼はすでに第1の習慣の描写の中にフランクルのロゴセラピー的人間観を取り込みます。博士はフランクルに倣い、刺激と反応の間には選択の自由が介在しており、人はこの自由を十分に使うことができるし、十分使わなければならないとしました。この自由の中に自覚、創造力、良心そして自由意志が詰め込まれており、逆にこれらすべてのものは選択の自由を構成するとしました。人間の責任とはこのような自由を使うことの中にあるといいました。コヴィー博士はフランクル同様、自由と責任を介在させることなしに直接刺激に反応する生き方を退けました。

さらにコヴィー博士はフランクルの創造する価値、経験する価値、そして体験する価値を踏襲しました。これらの価値の実現はフランクルによると人生の意味の充足の前提とされます。コヴィー博士はこれらの価値と共に生き働く者の言葉は、自己の達成することを予言できるとしました。価値観を選択することにより、自分のコントロールできる事柄に集中できる。積極的にエネルギーを生み出し、影響の輪を広げることができる。主体的な生き方とはすべてこのようなことができるということに他ならないといいました。「目的を持って始める」「重要事項を優先する」「ウィン-ウィンを考える」「理解してから理解される」「相乗効果を発揮する」「刃を研ぐ」(研鑽を積む)と名づけられた他の6つの原則はすべて、この主体性の原則を前提としております。この原則を貫き主体性を確立する。このことは私的と公的の成功、すなわち個人、家庭、社会そして人生、すべてこれらのものを成功裡に営むために役立つと考えました。

『第8の習慣』は『7つの習慣』が出て15年経過したあと出されました。『七つの習慣』が「高度に効果的な人々」の為の書とされたのに対して、『第8の習慣』は「偉大な人々」の為の書であるとされました。すなわち、コヴィー博士の関心は「効果的であること」から「偉大さ」へ移っていったということであります。一つの飛躍、一つの完成が問題となります。『第8の習慣』は二部から成り立ち、第一部では「ボイスを発見し、それを表現する」ことが論じられます。ボイスとは「声」のことです。自分の中に「声」を発見して、それを外に向けて発することです。第二部では「ボイスを発見した人が他の人々が彼ら自身のボイスをするよう彼らを奮起させる」ことが論じられております。すなわち、この新しい本はリーダーシップ論であるといえます。ただ単に自分の中に声を発見し、それを表現する、そしてある企業を成功に導いただけではまだ不足だというのですね。誰かが自分の中で起こったことを表現した暁に、他の人々がそれを見、いつの間にか彼ら自身の中にそれぞれ自分の声を発見する。このような人々がさらに彼らの周囲の人間達の中に同じことを惹き起す。このようにしてボイスあるいは使命を見つける者達の数はますます増大する。コヴィー博士は「効果的であること」から「偉大さ」への移行をこのようにイメージしたのですね。これがコヴィー博士の新しい本における基本的な考え方です。

リーダーとは自分のボイスを懸命に生かし、人々に奉仕する人々に与えられた名です。リーダーシップは一つの地位ではなく、それは一つの生き方の選択、ボイスを生かしながら人々に奉仕し、それに徹してぶれないことを意味します。コヴィー博士はこのようなリーダーシップを体現した人々を列挙いたします。彼は「『自分のボイスを発見し』、多くの人々や組織、コミュニティがそれぞれのボイスを発見するように奮起させ、あなたが偉大な人生を歩む」ようになると彼の読者を激励するのであります。

私はここで注意を促したいことがあるのですが、それはコヴィー博士が新しい本の結論の締めの部分で、ハッドン・クリングバーグのフランクル論から「フランクルの人生の中心テーマ」の描写を引用しているということです。

「フランクルにとって、精神性は本質的に自己超越であるから、人間の自由をもたらすものでもある。… 運命的な出来事に対する自分の反応を選び、どのような大義に身を捧げるかを決める自由もある。そして、この何々を行う自由は何々を行うべきだという義務を伴う。… 私たちは一人一人、何かに対して、誰かに対して責任を負っている。… 人が精神的な自由と責任を行使する時、多くの効果が伴う、落ち着き、安心感、満足感。これらは自然に生まれるのもであって、いわば副産物のようなものだ。… 何か別のものやより偉大なことの為に生きる人間が自然に得るものなのだ」

一言で言いますと、自由と責任を行使し、自分以外の偉大なことに献身することは決定的であって、人はその結果、落ち着き、安心し、満足し、幸福になるにすぎないとされます。決して自己に中心を置くことはできないという考えです。コヴィー博士はこのように「第1の習慣」においてと「第8の習慣」の結びという決定的な箇所においてヴィクトール・フランクルに語らせました。円はこれで閉じたのですが、これは博士にとっては、彼の中で成熟し、自然に溢れ出た考えの表現でもありました。

私は弊研究所をこれまでと同じように、コヴィー博士と、彼が師としたピーター・ドラッカーそしてヴィクトール・フランクル、この三人の偉大な先達の働きの相乗効果を発揮させる場所として使い続けたいと願っております。

コヴィー博士には9人の子供達、52人の孫達がおり、彼は週に一度の夕方には定期的に彼の家族達と一緒に過ごされたと聞いております。多忙な中でもライフを喜び、ワークを楽しみとされ、これがそのまま博士の真正な人格表現だったと想像されます。これもまた博士の残された手本だと有難く感謝いたします。
スティーブン・R・コヴィー博士は2012年7月16日逝去されました。亨年79歳。
博士のご冥福をお祈りいたします。

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