言葉と沈黙と 第6号
2013年7月
気分の喜びと不安と満足と落ち着きと
ドイツロゴセラピー協会公認 ロゴセラピスト
安井 猛(PhD)
2013年の6月はまことに忙しかった。学校での授業と行事は私の職業に属するが、弊研究所の仕事は趣味とか信念が昂じての仕事だ。ロゴセラピスト教育研修、基礎理論第2部「危機予防としてのロゴセラピー」第2ゼメスターでは危機としての不治の病と死および悲嘆の克服を扱った。方法論演習第2部第2ブロックゼミナーではイメージの治癒力を理解するためのコラージュ療法を扱った。この二つのゼミナーのためにそれぞれ週末2日を使う。さらに「燃え尽き」に関する10回連続講義の第1回目と、4年掛かりで行った「エニアグラムとロゴセラピー」セミナーの第40回目かつ最終講義もあった。これらに加えて、7月4日には仙台の由緒ある病院の研修会で「パストラルケアは何をするのか」について話した。私の課題は、ホスピス病棟が病院職員を対象として行ったパストラルケアについての意識調査の結果を評価することだった。今年の上半期は、個々人のタイプとテーマとライフスタイルそして個々人の雰囲気や気分という問題を扱ったように思う。
心理療法においてこころの問題を解決することは、人間の心理領域において出来事となる二つの働きを吟味することにほかならない。こころの働きの一つは「認知する」ことである。時には知覚を通して、時には直接、推論や思考を通して物事を知ることである。もう一つは知ると同時に、なにごとかを感じ、この感じ得たことを、身体を通して表現することである。感情が現れ、それを表現する。このことと密接に関わるのが気分である。感情は、気分の自己表現の最先端だが、それは一時現れては消える。感情は機会に応じて現れ、そして消える。それは、消えることを目指して、消えることを条件として現れるにすぎない。それに対して、気分そのものは、その表現形態に他ならない感情の根底にあって持続し、人格という存在の基底となると考えられる。今年度のロゴセラピスト教育研修第二部を通してこの意味での気分を論じたと思う。
私見によると、同一の人間の、同一の気分は、肯定的と否定的なそれに別れていく。肯定的気分はなにごとかへ接近する態度と結びつく一方、否定的気分はむしろ撤退すること、忌避する態度に通じていく。これらの接近あるいは撤退の態度は、ある人間あるいはある状況に近づく以前に存在していなければならないのではなく、接触の体験を通してはじめて生まれることもある。肯定的気分は、自分を世界へ関わらせ、目標を設定し、自己を制御しそして成果を得ることを可能にさせる。これに対して否定的気分は、単純に個別的なものへ集中し、几帳面にそれを処理するよう促す。なにごとについても緩慢にさせる。否定的気分は人を憂愁と悲しみの中に置き、病気不安を思い巡らすよう導くが、かといって喜ばしい人間のように健康を配慮することはさせない。ただ肯定的気分だけの人間も、ただ否定的気分だけの人間も存在しない。同一の気分が肯定的側面と否定的側面を持つにすぎない。肯定的側面がいっそう多くなることは、すぐさま否定的側面がいっそう少なくなることを意味しない。両側面の動きは、相対的に独立していると考えられる。
フランスの精神科医、クリストフ・アンドレーは彼の『魂の気まぐれ(Launen der Seele)』(Kiepenheuer, Berlin 2010、S.51)の中で正当にも気分の二次元的モデルを描写する。彼は気分を4つの状態に分類することができると言う。彼は、否定的気分が稀であり、肯定的気分も稀な状態を「無感動」と名づけた。肯定的気分が稀であり、否定的気分が頻繁な状態を「心的苦悩(うつ、不安)」と呼んだ。否定的気分が頻繁であり、肯定的気分も同じように頻繁な状態を「緊張(ストレス)」とし、最後に、肯定的気分が頻繁でありそして否定的気分が稀の状態を「快適」とした。アンドレーによると、患者をこの「快適」状態へ齎すことが治療の最終的な目標である。彼によると、内的生活に興味を持つ人間にとって望ましいのは、差し当たり自分自身の気分を受け取り、それをすぐさま肯定的なものに向かって訂正しないことである。両方面の気分の共存は、アンドレーによると、私たちの人生に深さと味わいと矛盾を与えるのであり、まさにこれは私たちの人間存在を構成するものなのだ。心理療法は疑いもなく究極的には「快適」を目指すが、それにはまず人間存在を構成するもの全体を視野に収める必要がある。
フランクルは周知の通り、専ら「自己から世界への超越」を問題にし、「無意識の神」を語ったが、無意識の世界の豊かさに充分注意を向けたとは言い難い。弊研究所長はこの理由から、例えば、C.G.ユングの愛弟子の一人、チューリッヒ大学とユング研究所のフェレーナ・カスト教授を引用しながら、無意識の含むイメージとその力を論ずることがある。カストも、フランクルの生きる意味に関する見解を評価しながら、フランクルとユングの接点を考えているようであり、多くのロゴセラピストたちはこのことを評価している。彼女は『不安の意味(Der Sinn der Angst)』(Herder, Freiburg,1996)のなかで、諸々の不安が人間の中でどのように固まり、そしてそれはどのように変えられることができるかを問うた。彼女は、不安が「落ち着き」、「希望」、「喜び」、「興味」そして「感動」へ場所を譲り、このことは「自己価値の感情」を体験し安定化することを示した。この「自己価値の感情の体験と安定化」は、アンドレーの言う肯定的気分が頻繁で、否定的気分が稀の状態、すなわち「快適」に相当すると理解される。不安は、究極的には人間が死に得ることとかかわる。この人間の可死性は、いつも大きな脅威だが、カストによると、私たちが「危険に晒されていることを認めるなら、その時また『救うものも成長する』(ヘルダリン)」。
ヘルダリンはシュトットガルトの近くのテュービンゲンで後半生を送った。彼の住まいはネッカー河畔にヘルダリンの塔として保存されている。この美しく小さな由緒ある町に私の母校テュービンゲン・ウイーン・ロゴセラピー研究所がある。私はここを訪れるたびにこの川に沿った散歩道を散策する。カストが引用した上記のヘルダリンの言葉を思い出し反芻する。それは私を一歩先へ行くよう促し、制限されない人生を創ることができる。不安の只中で「救うもの」が、つまり、信頼の基本感情が「成長する」。この感情の中で「落ち着いて」生きることができるのだ。この意味で、私の個人的経験を日毎に生きにくくなる国に住む人々と結びつけることが許されるなら、そこで労苦し、喘ぐ人々、牽いては私たち一人一人が「落ち着いて」生きられることを切に願う。
ボルノーの「気分論」と日本の教育的課題
兵庫大学健康科学部健康システム学科教授
廣岡 義之
ボルノーの「気分」論
本稿では特にボルノーの「気分」論を中心に日本の教育的課題についての考察を進めることにしたいと思います。ボルノーは彼の気分論を展開する際に、ハイデッガーの「気分」概念と対比させることから出発しました。ボルノーはハイデッガーの「気分」概念を、完結された結果として理解しておらず、むしろ「新しい生の現象=気分」という考え方に対して常に開かれた態度で対応し続けました。さらにボルノーは、人間の身体的、精神的な諸活動はそのときどきの気分を基盤にして営まれており、その意味で、気分は主客未分離のまま、主観と客観の両者の根源的統一の層であると言い得るでしょう。
これとの関連でボルノー研究者川森康喜は彼の著『ボルノウ教育学の研究』(ミネルヴァ書房)のなかで、ボルノーの「気分づけられた空間」に関して次のように考えています。「気分」はそれ自身、人間の内部に存在する主観的なものでもなく、また人間の外部にあってその周囲に発見することのできる客観的なものでもなく、周囲の世界と主客未分離のままに人間と関わっている、と。ボルノーは、精神生活のもっとも低い層に位置するものとして「生の感情」あるいは「気分」を挙げています。本来、「感情」は何かについて喜び、希望し、嫌悪するもので、志向的に特定の対象に関わっていますが、これに対して「気分」は特定の対象を持たない雰囲気のようなものなのです。(川森康喜著:128頁参照)
「高揚した気分」「開かれた気分」の中に信頼、希望、感謝を見出そうとしたボルノー
ボルノーがこのような「気分」を次の二つ、すなわち「高揚した気分」(喜ばしい気分)と「ふさいだ気分」(悲しみの気分)に区分したことは周知の事実です。ハイデッガーは気分の中核に「不安」を据えましたが、ボルノーは逆に「高揚した気分」を重要視したのです。ハイデッガーは存在論的実存論的立場から、「不安」が実存的自覚を獲得する方法であると考えたのに対して、ボルノーは哲学的人間学の立場から、「高揚した気分」「肯定的な気分」「開かれた気分」の中にこそ、人間的な生の安らぎや信頼、希望、感謝を見出そうとしました。人間の生を豊かにし幸福にするのは、「存在の信頼」であり、それを可能にするのが「高揚した気分」であり、「安らいだ気分」であると理解したのです。人間形成活動もまた主として高揚した気分によって可能となるのではないでしょうか。特に今日の日本の精神状況下にあってはなおさらのことと言えるでしょう。逆にふさいだ気分からは新しい何ものも生み出すような力はでてこないのです。なぜなら新しいものを生みだす創造的行為は、信頼的態度の中で育ってゆくものであるとボルノーは考えたからです。川森康喜によれば、こうした「気分論」が基礎となって、ボルノーの教育的雰囲気論が展開されていくのです。ボルノーが「高揚した気分」によって、より大きな教育的意義を認めるのは、子どもの未来を信頼し、人間の未来に希望を託するからだろうと川森は鋭く指摘しています。(川森康喜著:129〜130頁参照)
人間が存在することは「住む」ことに他ならない
後期ハイデッガーの哲学思想によれば、人間が存在することは「住む」ことに他ならないと言います。それとの関連でハイデッガーは、投げ出されてある人間の現存在はまず「住む」ことを学ばなければならないと考えました。ここで「住むこと」という概念は、Geborgenheit(庇護性)を意味します。これは何者かによって「包み守られているという普遍的な気分」のことです。Geborgenheit(庇護性)は、werfen(投げる)の過去分詞であるgeworfen(投げ出された)とは正反対に位置するのです。つまりGeborgenheit(庇護性)は、bergen(保護する)の過去分詞であるgeborgen(庇護された)の領域において可能となるのです。日本語では庇護性、被護性、安らぎ等の訳語がありますが、これはいずれにせよ実存主義を克服するためにハイデッガーを意識してボルノーが使用した概念にまちがいありません。(川森著:135頁参照)
健全な人間的発達にとって、庇護性の雰囲気は不可欠の前提
健全な人間的発達にとって庇護性の雰囲気は不可欠の前提です。人間の生活において、自分が包み守られて安らいだ気分に浸る雰囲気を持つこと、そうした雰囲気の空間を経験することは貴重であり稀であるからこそ、現代社会で重要な一つの人間の在り方のモデルとなりつつあるのです。まさにランゲフェルドが数十年前にすでに指摘した「寄る辺なき世界」が、現実のものとしてますます深刻なものになってきましたが、生と世界への信頼に支えられたボルノーの「庇護性」概念は、究極的には、「まったき世界」の中に包まれているという感情、すなわちまったき世界への「放下」(Gelassenheit) へとつながっていきます。(川森著:136頁参照)
「寄る辺なき世界」となった現代日本社会に必要な「気分」とは何か
これまでのところをまとめてみると、「気分」には高揚した気分とふさいだ気分に区分されます。ふさいだ気分では、生の全体が陰鬱になり、成長力が抑圧されますが、しかし高揚した気分は、人間を世界に向かって開き、内部の諸力を成長させます。こうした快活さ、朝のような感情等の「高揚した気分」こそが、人間の発達や教育の分野にとって必要不可欠となります。それゆえ「高揚した気分」を子どもの中に育てることは教育における根本的な課題となるのです。しかしこの「高揚した気分」は、教師と子どもの間の信頼関係に基づく庇護性の深浅に極めて強く影響され、そしてそのあり方が教育的雰囲気に深く関わることになります。現在の「寄る辺なき世界」となった日本社会では、こうした「高揚した気分」「安らいだ気分」「庇護性」「住むこと」という基本的在り方が切に求められていると言えるでしょう。
「感謝」こそが、子どもにとって最も重要な道徳的な徳性である
こうした「高揚した気分」「安らいだ気分」「庇護性」「住むこと」という基本的在り方から具体的に導きだされる重要な道徳的徳性としてボルノーは特に「感謝」の念を、子どもにとって最も重要なものとして挙げています。なぜなら、感謝の気持のない者は、その状態に留まっているかぎり教育することができないと考えるからです。さらに、人間は個々の具体的な助力や贈り物に対する感謝の念から、やがて人間的生の全体を包む、存在一般に対する感謝の気持ちを抱くようになるとも考えました。元来、ボルノーは思想的には実存主義を克服するために「感謝の念」を構想したのです。ボルノーによれば、実存主義者は自由、決断、参加等の概念の必然性から、いかなる感謝もすることができないと考えたのです。しかし実際に人間は、他の人間との相互作用においてのみ、形成が可能となるがゆえに、人間は個々の生に対して感謝できるようになるのです。いみじくも今回改訂された小学校・中学校の道徳の時間の内容項目でも、「感謝」の項目が新たに独立したことと、上述してきた日本の時代精神が求めている内容が密接に関連しているものと思われます。
日本の時代精神が求めている内容は「高揚した気分」「安らいだ気分」「庇護性」「住むこと」という基本的在り方であると申しましたが、そこから導き出される暫定的結論として、日本の(義務)教育の中で現在強く求められている道徳性が「感謝」であり、当然の教育学的帰結として、道徳教育でも「感謝」の徳目が再評価され、重要視され始めたことは注目に値する流れであると言えるでしょう。
不安から希望へ
関西大学文学部総合人文学科ドイツ学専修教授
芝田 豊彦
ハイデッガーは、『存在と時』において不安(Angst)という気分に注目している。人間は日常において漠然とした不安に襲われることがあるが、不安の対象も理由も定かではない。そのような点にこそ、気分としての不安の特性があると言ってよいであろう。
東北大震災の後も、人々は漠とした不安な気分に襲われているのではなかろうか。この不安は自然的災害によって引き起こされているのに対して、ハイデッガーが分析して見せたのは日常性における不安であり、明らかに異なっている。しかしながら、海の幸を人々に恵んでくれるあの海が、突如として牙をむき、津波として、無差別に人間を呑みこんだのであった。どちらが海の素顔なのであろうか。また放射能は、目にも見えず、耳にも聞こえず、知らぬうちに身心を蝕むのであるから、まさに不気味そのものである。東北大震災以降、人間を蹂躙する運命そのものに対して人々は不安を覚えているのかもしれない。そのように考えると、ハイデッガーの分析した不安とまったく無縁だとも言い切れないようにも思われる。
ところでハイデッガーは、不安の分析を通して、現存在の存在を気遣い(Sorge)として示したわけだが、それを構成する三つの契機のうちのひとつが頽落(Verfall)であった。他者の支配をうけつつ、世界内部的に出会われる存在と親しみ、そのもとに存在していることにより、本来的自己を喪失している現存在(人間)の在り方が、頽落なのである(原祐 参照)。「世界内部的に出会われる存在者のもとに在ること」(Sein-bei innerweltlich begegnendem Seienden)。筆者(芝田)自身は、ここでフランクルの「もとに‐在る」(Bei-Sein)を連想せざるを得ない。フランクルの場合の「もとに‐在る」は、精神的存在者にふさわしい存在の仕方であり、肯定的に用いられている。実際、愛することが「相互の‐もとに‐在る」こととされる。それに対してハイデッガーの場合は、人間の頽落形態の存在の仕方であり、否定的に用いられている。その点ではまったく対照的であるが、言語の使用としては同じである。はたしてフランクルは、ハイデッガーの用法を換骨奪胎して用いたのであろうか。
しかしあえてハイデッガーを持ち出すまでもなく、精神と関連する「もとに‐在る」というようなフランクルの用法は、ドイツ語において必ずしも無理ではない。他ならぬ聖書において、そのような用法を見出すことができるのである。「肉においてはそうではないが、私は霊(精神)においてあなたがたのもとに在るのだ」(…bin ich doch im Geist bei euch.)1912年改訂ルター聖書のコロサイ書2章5節における、パウロが離れている兄弟姉妹に対して語った言葉である。ところでフランクルは、精神の反抗する力を強調する。身心のどんな病に対しても反抗する力である。フランクルの人間像から見て、不安に襲われるのは身心であって、精神はそれから距離を取り、希望をいだくことができるはずである。
フランクルとラピーデとの対談集で、ラピーデは、「神は万物を創造したが、人間を希望へ向けて創造した」ということを、ラビ的な真理としてあげている。それに続くラピーデの発言は、フランクルの精神の反抗力とも通ずるであろう。「平たく言えば、人間は、自分自身と自分のあるがままの世界と妥協すべきではないということであり、人間はこのふたつ(自分と世界)を高貴にすることが許されているし、できるし、すべきであるということです」。東北の人たちが、不安を突破して、希望へいたることを望んでやまない。しかしこのことは、じつは、私たち自身の課題でもあるのだ。
(なお、ビラーによるロゴセラピーの辞書における「もとに‐在る」の項でも、ハイデッガーや聖書の用法は言及されていない。)
わたくしの気分と日本
静岡福祉大学社会福祉学部専任講師
草野 智洋
現在の日本について考えたとき、私の気分はあまり晴れやかなものにはなれません。私の仕事はロゴセラピーの研究・実践に加えて、ひきこもりやニート状態にある方の支援です。ひきこもりやニートの問題ももちろんそうですが、その関連領域に目を向ければ、若者の雇用情勢の悪化や生活保護や年金の財源への不安など、心配なことだらけです。
現在の日本にはこうした社会的・経済的な大きな問題が立ちはだかっていますが、私が最も危惧しているのは、そこから派生する人々の気持ちの面です。ニートやひきこもり、生活保護受給者などに対して、そうでない人たちから厳しい目が向けられています。困難を抱えている人たちに対して「かわいそうだ。助けてあげなければ。」という見方ではなく「甘えるな。怠けるな。働け!」という見方がされがちです。
就労している人は、厳しい経済情勢のなか、歯を食いしばって頑張っているわけですから、そういう気持ちになってしまうのもわからなくはありません。それはもっともなことかもしれません。しかし、社会が余裕を失っていくなかで、それと同時に人々の精神から「寛容さ」が失われていっているように私は感じています。それこそが、社会的・経済的情勢が悪化していること自体よりも、もっと危惧すべきことではないでしょうか。
ニートやひきこもりへのバッシングだけでなく、人種差別的なデモが過熱しているとも聞きます。自分達が苦しい状況の中で、そこで生じる怒りや攻撃性などが、少数の弱者に向かってしまう。とても残念なことです。
「自己責任」という言葉が大手を振って一人歩きしています。確かに自分の人生に自分で責任を持つことは大切なことです。とても大切なことです。しかし、この言葉は、他者が他者を助けてはいけないという意味では決してないはずです。他者に対して寛容であるということの尊さを、私たちはもう一度思い出す必要があるのではないでしょうか。
後悔先に立たず
尚絅学院大学准教授
仙台夜まわりグループ理事長
バプテスト仙台南キリスト教会牧師
今井 誠二
"Things go bad." FACEBOOKで "How is it goin?" と打ったらこう返って来た。返信主はギリシャのドラマという町で衣服店を営んでいるバイカーのヨアンニスだ。彼とは、トラキアの博物館に行く途中で声をかけられ珈琲をご馳走になって以来、SNSでやりとりしている仲だ。ギリシャ危機はまだ続いているらしい。最近は、キプロスや、EUを牛耳っていると揶揄されているドイツの方がマスコミのネタになっているが、ギリシャの政治的・経済的状況は依然として良くないらしい。
一方、わが日本はどうだろう。アベノミクスが功を奏し、現政権に対する支持率が増加しているという報道が垂れ流されている。確かに一時的に行き過ぎた円高が和らぎ、輸出産業周辺に潤いが出始めているようではある。しかし、国民の生活はどうだろう。非正規雇用者が被雇用者の三分の一を占め、建築業界では違法な多重派遣がまかりとおり、社会福祉の現場では若い人たちがワーキングプアを抜け出せないままで、お年寄りやこどもたち、ハンディキャップを抱えた人たちと連れ添わねばならない。労働者の権利は奪われ続け、ますます酷い状況になっている。少子化の危機が訴えられているが、自分たちの未来が思うように描けない状態で、結婚や子育てをすることができないのは当たり前だ。
そうした社会不安を煽りながら、立場の弱い者をはけ口にするようにして、生活保護を受けざるを得ない人たちに対するバッシングが行われ、歴史修正主義者たちが、「建前ではなく本音を言え」などと、あたかも国民の多くがそう思っているかのように、アジアの隣人たちに対する侮辱的な発言を行い、普通の格好をした市民たちによる、アジア同胞に対する路上でのヘイトスピーチが連日行われている。こうしたヘイトスピーチは、以前は、裏金で雇われた街宣車に乗った黒ずくめの青年たちによって行われていたものだった。
こうした風潮は自然にできるものではない。誰かが造り出しているのだ。たとえば、憲法の遵守義務を持つ国家公務員たちが、私的宗教法人である伊勢神宮や靖国神社で公人の肩書きを使って宗教行為を行ない、政教分離原則を堂々と侵害している。一部の政治家たちは、これが日本の伝統だと口を揃えて言うが、そもそも靖国神社は、薩長側で戦死した兵士だけを祀って忠魂=英霊とし、戊辰戦争の戦果を正当化するために作られた東京招魂社を前身とする神社であり、薩摩の内乱鎮圧後にあわてて国営化され靖国神社に改名されたものだった。多くの青年が、にわかづくりの靖国神社によって天皇のために死ぬ事が美徳である事を教え込まれ、遺族の悲しみや恨みの矛先を天皇や国家に向ける事を躱す為に、この大日本帝国陸海軍所管の宗教施設が利用されてきたのである。
我が国の安倍晋三首相の行状について、ハンギョレ新聞は2013年5月21日の社説で次の様に述べている。「始球式を務めて憲法改正手続きが記された第96条を示唆する96番の背番号をつけたのも、航空自衛隊を訪問して第2次大戦当時に満州で生体実験した731部隊を連想させる'731'番が記された訓練機に乗って親指を立てて見せた行動が果たして偶然の一致と弁解できるか訊ねたい」。
日本人全体が先の大戦の反省をしていないと見られるのも無理は無い。私はこのようなことを率先するような政党には一度も票を入れたことが無いが、現政権の成立は、私の投票行動の結果がもたらしたものなのだ。「私の気分は?」と問われれば「大変遺憾である」と答えるしか無い。歪んだ選挙制度を一日も早く直して、本当の民意を反映する政府になってほしい。
いつのまにか国民全員に背番号がつけられ、誰も逃げ隠れ出来なくなってしまっている。さらに違憲状態にある選挙区・選挙制度によって選出された政府の下で、日本国憲法が次々に改悪されようとしている。表現の自由が圧殺され、こうした個人的な表白さえもゆるされない社会が、あっと言う間に再来するようで大変怖い。
実は、震災直後に、ヨアンニスから「家族7人でギリシャにやってこい。住む所も仕事も用意している」という有り難いオファーをいただき、丁重にお断りしていた。でもあの時、ギリシャに行っておけば良かった。経済的状況を見れば、行かなくてよかったと思うのが普通なのかもしれないが、私は今更になって後悔している。(2013.5.25記)
私の気分と日本 〜対立を超えたところに調和がある〜
マネジメントコンサルタント
桂 利治
私が生産マネジメントのコンサルティングに使用している理論;TOC(Theory of Constraints、制約理論)は、3つの基本的な前提をもちます。 理論そのものの土台となっている前提で、信念と言っても良いでしょう。その3つとは、
(1)現実には複雑なシステムなどない
(2)すべての対立は解消できる
(3)人は変化に抵抗しない
理論の土台となる前提にもかかわらず、皆さんからは「そんなこと不可能だ」と反対意見が聞こえてきそうです。確かにこの前提が有効であるためには、特に(2)に関しては、「(システムの責任者が)影響を及ぼせる領域の中に限って」という条件を付け加える必要があります。世の中のありとあらゆる対立が解消できるのならば、TOCの開発者であるゴールドラット博士の母国イスラエルはもっと違う状況になっていることでしょう。
本稿では「(2)すべての対立は解消できる」について、現在の日本を取り巻く環境も念頭に置きながら少し深堀りしてみたいと思います。
まず、"対立"とはどのような状態かを明確に定義しておきます。
"対立"と同じような言葉で良く知られたものに"矛盾"があります。矛盾とは、"どんなものも通さない盾"と"どんなものでも貫き通す矛"の話から、同時に存在し得ないことを表す故事成語です。この矛盾という概念を用いて、対立とは「人々がお互いに矛盾を求めている状態」と定義することができます。
この定義ならば話はシンプルです。なぜ、対立が発生するのか?→それはお互いが矛盾を求めているからです。どうやったら対立が解消できるのか?→それはお互いが矛盾を求めていることに気づき、それをやめることです。
物理的なものの世界では、"ある任意のモノ"の長さは1つだけです。そのとき、別々の測定による値が違えば、それぞれの測定方法や測定条件を確認し、必要な調整をし、測定値の相違の原因を明らかにしようとします。そして"あるモノ"の長さは関係者が合意した条件において1つに決まります。"そのモノの長さに矛盾はないはずだ"という信念のもとに、測定値の相違として表面化した対立を解消しています。
では、物理的なものではない対立、すなわち、人や組織との間で意見が違う時にはどうしているでしょうか?物理的なものの世界と同じならば、次のような質問が浮かびます。
「一方がその意見を主張するのはなぜだろう? どうやってその意見を導いたのだろう?」
「他方が対立意見を主張するのはなぜだろう? どうやってその意見を導いたのだろう?」
お互いの意見の背景を確認すると、実は全く違う対象を見ていたので話が噛み合わなかったという笑えない話もよくあります。同じ対象を見ているのであれば、意見が違うのは見ている方向や見方といった前提条件が違うのではないかと考えるのがTOCの前提です。特別な理想論を語っているわけではなく、当たり前のことを言っているだけだとわかっていただけるでしょうか。
興味分野の違う人が、同じものを見たとしても、見えるものが違うのは当たり前です。人は見たいものを見て、聞きたいことを聞くものだからです。対立は、好む好まざるにかかわらず避けて通れないものなのです。
日本人の長所に調和を重んじる姿勢がありますが、その裏返しの姿勢に意見の対立を避ける傾向があります。複数の人々がある共通の目的に向かっているとき、何かしらの意見の対立は必ず起こります。対立を避ける事は簡単ですが、その時には多面的な見方を犠牲にしています。対立は避けるべきものではなく、対立する相手と一緒に乗り越えるべきものです。対立を乗り越えた先にこそ本当の調和があります。見せかけの調和は、対立を解決するどころか、長引かせるのがオチなのです。
私の気分と日本
会社員
千葉 幸恵
私の気分と日本の国にはどのような関係があるのだろうか?テーマをいただき、今回はこのことを考えるところから始まりました。そして浮かんだことは私の幼少期に起きた石油危機の経験と、東日本大震災後の世の中のことでした。
私が小学生(8歳頃)の時に第一次石油危機(1973年)が起きました。それは社会的な出来事に対して私なりの気分を感じ、その気分と周囲の雰囲気との間に何か違いがあることを認めた一番古い記憶でもあります。
私は親の指示で紙製品の買い出しの列に並びました。一人一個の「一人」は小学生も「一人」。当時、大方の子供は同様の経験をしていると思います。ざわざわした雰囲気や空気はあれから40年経つ今も感覚に残っています。私は世の中に対して何となく安心できない印象を重ね、大人の姿に不安と違和感を、また買い出しの列に並ぶことに不快感を抱きました。そしてこのように思うことそのものを自分で禁じるような複雑な心持ちがあり、買い出しの列に並びたくないと言いだせなかったことを覚えています。8歳の少女には重荷であったのだろうと思います。
1960年前後から私の幼少期にかけての時代背景を見つめてみると、世の中の動向が祖父母・両親を始め周囲の大人たちのフィルターを経て、私の子供時代・学生時代の生活や気分、後の進路の選択やその後の人生に少なからぬ影響を与えたことがわかります。彼らの幾つかの言葉や行動を思い出すことができます。大人たちも不安でいっぱいだったのだろうと察しますが、大震災後の現在のように、気持ちの納め所を求める雰囲気に応えるような一つの潮流があったのかもしれないとも思います。
自分の感じていることに善し悪しは無くそれを持つことが自分の人生を生きることの始まりであるにも関わらず、この国で私たちの多くは自分でも気が付かないうちに自分の感じていることを、あたかも無いことにする為の訓練を受けてしまっています。私はこのことが人の尊厳を損なう長い時間をかけた心の自死を促してしまう深刻なことではないかと思います。
加えて大震災は私たちに否応なく自分と国とのダイレクトな関係を突きつけました。上に書いたように私の子供時代の、家族や地域社会を通しての「私の気分と日本」との関係を認める時、大震災後の状況下で被災地の人々、特に子供たちや若者たちが配慮され、自分の考えを表明したり考えたりできる空間がどのように保たれているかということに思いが向きます。震災は私たちに自分の考えで生きることを選び直すチャンスを与えているのかもしれません。
話を身近な私の生活に戻したいと思います。8歳の少女が既に諦めていた自分の気持ちを表現すること。この生き方の選択が私の人生に留まらず様々に影響を与えたことを私のこれまでの人生は明らかしています。
しかし今、「私の気分」は少なくとも私自身に尊重されます。私の気分は所属する集団とは別に保つことは可能です。また他者にもその人の気分はあり、その人との間でそれを表現し合うことで先に進める方法があるということも知りました。私にはそれができる時もできない時もあります。このことが自然に身についている人も大勢いると思いますが、私の場合はその能力を育てる機会が半世紀も生きた今、訪れているのだと思います。余談ですが、多くの若い人にロゴセラピーの考えに触れる機会に恵まれることを心から願うのは、こういう時です。社会に出る前に世の中を生きることの核となるものを学べる機会があれば、本人にも日本の国にとっても間違いなく大きな力となり財産となると考えるからです。
時には研究所で学ぶことと現実との間にギャップが現れます。その大きな段差を小さな段差の階段に作り替えたり迂回路を作ったりしながら少しずつ登り進むことが、今の私にできる最善だと信じています。それは組織に留まらずこの国の一部であるということにおいても、また私自身のためにもそのように思っています。
私の気分と日本
臨床心理士
市井 聡子
私はこのところ終止符を打ちたくてうずうずしている。といっても、自分には未来があると信じて言っているから、慌てないで私の話を聞いてほしい。
例えば、使い古した品々を処分したい。物持ちのよさが私の売りなのだが、賞味期限切れのものを持ち続けていたらこっけいだなと思った。年齢を重ねた自分に似合ったものを探してみよう。それから、不便になった住まいに別れを告げたい。大きい鉢に植え替えた草花はみるみる大きく育つように、新たな場には、今までにない新たな物語がきっとあるはずだ。そして、長年引きずってきた悲しみを供養したい。大切なものを引きずり傷つけてしまった間違いを改めよう。そうだ、私は変わりたい。私になりたいのだ。
日本にも終わることを期待したい。敗戦国となり大国の支配と援助で立ち上がった日本だったが、働けば働くほど暮らしが豊かになった時代があった。経済優先で動く社会に、これまでは多くの人が恩恵を受けてきたのだと思う。だが戦後気分はもうやめにできないものか。経済成長に陰りがみえ働き手の数が減っても戦後のシステムを持続させている現状に身を置いていると、システムのために一人ひとりの負担が増えているように思えてならない。第二次大戦に匹敵する出来事という東日本大震災に見舞われたことで、私たちが感じたわが国の脆さ、強さ。あの時得た実感、教訓を生かさなかったら、私たちに真の復興はないと思う。人は意味のある苦労をしたいと願うものではないか。日本には、皆が自分自身になれる国であってほしい。
私の気分
東日本大震災から元気をとり戻そう会〜言葉の力を信じる〜、を経た今
盛一 美那子
2011年3月11日午後2時46分は突然激しい揺れに見舞われ、天地がひっくり返ってしまうかと思うほどの恐怖を多くの人に植え付けて去った。
大津波による沿岸部の大惨事は更にその恐怖を増幅させ、福島第一原発の爆発事故による放射能の脅威は、一瞬にして私たちを混乱に巻き込んでいった。この恐怖の体験は心の奥深くまで入り込み決して消えることはないだろう。2年4カ月が過ぎた今でもあの日のことを問われれば、昨日起きたことのように語れる出来事でした。
日本列島の半分が失われてしまうかのような恐怖のなか、原発事故処理に関わる方々に一縷の望みを託し、被災地の復興に携わる多くの方々への感謝の念は絶えなかった。多くの努力が注がれているにも拘らず、進まぬ復旧復興に焦りも覚えた。
大津波は、私の身内や故郷も流し去った。その閉塞感の中で、それでも何とか元気を回復しようと、発足した「東日本大震災から元気をとり戻そう会 〜言葉の力を信じて〜」に参加し続け、語り、悲しみはほぐれていった。試行錯誤しながら日常をとり戻した頃、会では、話し合われる焦点を改めて問い直そうとの提起がなされ、異なる見地から互いを理解しようと思い図るその場に、心を寄せる難しさが露見し、社会の縮図を見せつけられもした。
環境の違う処で育ち、立場の違いの中で社会生活を続けてきた人々が、たまたま、会に参加し想いを語り合う事によって次に起こる既に予測されている大震災をも乗り越えねばならないことを考えながら前に進むことで一所懸命であった。ところが其処に深い問題が潜んでいることに気付かされ、表面化したそのことが私自身を以前にもまして前進させてくれた。五年余りの日本ロゴセラピー&実存分析研究所との関わりの中で『生きることへ勇気づける』言葉を沢山いただいてきたことに目が啓かれた今、会への依存は消え、私の為すべきことは明確になり、努力を惜しまず続けていく。
ひとりぶつくさ -4- わたしのきぶんとにほん…
やすい うゐこ
出来事は54年前のことになる…、
中学三年のある夕刻、まえぶれもなく突然わたしの名を呼ぶ声が聞こえた
その時刻には店の手伝いで忙しいはずの彼女の声だった
あわてて出てみると なにか どこか いつもとはようすがちがう けど、
ま、久しぶりに会えたし…ごくらくとんぼのわたしはのんきによろこんだ
ところが 彼女は しずかに 語りはじめた
うち あしたね ここを発つんよ
まいづるから出る船はもうおわったんじゃけど
あさってごろ にいがたから出るのが最後になるのはわかっとったけん
おかぁちゃんはずぅーっと どぉしようかどぉしようかいうて きょうも考えとったけど
やっぱりこれで帰りたい 言うて 決めたんよ
にいちゃんは 残って トラックの仕事をつづける 言うとるけん
うちが おかぁちゃんといっしょに行くことになったん
そいでね あした早いし もう会えんようになるけんね さよなら言いに来たんよ
何をどう返事したのかさよならすらも言ったかどうかも覚えていない。帰ってゆく背の高い彼女のうしろすがたがかすかな記憶に在る。小学一年生の時から三年間同じクラス。学校の近くに住んでいた彼女の家のお手伝いのない時にはよく一緒に居た。中学生になり再び同じクラスになって、いまはもう沢山のことは覚えていないが、夕刻のお客さんを待つ彼女のおかぁさんとオンドルの座敷に坐りこんで話したこともあった…。その彼女はさよならを言いに来た翌朝には遠いとおい処へ越して行ったはず…。
折に触れ彼女のことは想い出す。ひょっとして、北朝鮮への帰還船には乗らないで新潟あたりのどこかに住んでいるということはありえないか…、あれからどうなったのだろうか…、きょうもどこかで元気か…、おにぃちゃんは元気か…、想いは連なる。いまはニホンむかしはヤマトという国の、政治の中身の真髄の正体は何なのだろうか、と、1974年から24年間西欧の文明に護られながら学習、探求、求道、就業を存分に経験できたことを省みても、日々の報道や情報に複雑な想いや疑問、時につよい不信はわたしのなかに湧き続ける。 彼女の本名を知らないまま、心の奥底に残って、反芻するように想い出し、決して忘れることのないはるかの友、わたしの知る彼女の名前は和名、金本 終南カネモト・シュウナンさんという。
あとがき
2013年7月15日は研究所開設6年です。6号を皆様にお届けします。弊研究所の存続は、それを活用して下さり、支持して下さる方々によってお蔭様に成り立っております。 この号にも現れた素晴らしいエッセイの執筆者たちにこころから感謝!です。今号は「気分」に関する思いの記述が集まりました。
働く者のための「燃え尽き」全10回連続講義の第2講義は7月19日に、全10回連続講義「『夜と霧』の贈り物」の第初回講義は7月27日に開催されます。後者の催しは、参加申し込みを受付け中です。プログラムは、弊研究所のHPをご覧ください。
『夜と霧』についての講義は、今からほぼ5年まえに一度行われましたが、今回は、別の角度から為される講義です。フランクルの経験が、受講参加者たちの生活の中でどのような経験となり、彼らの言葉がどう変わるか。小さく細かく、それでいて確実な自己変革のプロセスは起こるに違いありません。それを起こすことのできる講話です。
9月末から開催されるドイツロゴセラピー協会、労働世界と経済部門の会議参加のために今年もヴュルツブルク・ツエル修道院に出かけます。弊研究所の教育研修カリキュラムやセミナーは、その質と有効性において国際水準を保って余りあります。今年も一歩進み続けたいと念じております。
2009年以降、今日に至るまで「ロゴセラピー/実存分析の教育および研究所のための国際学会」(スイス/クール)の理事を務めておりましたが、残念ながら、この学会は2013年度に解散の手続きを取りました。学会の財産はウィ―ンのフランクル研究所の帰属になることが決まっております。
毎号、様々のことを学ばせて戴ける皆さまからの貴重な寄稿文に感謝申し上げます。相応しいかどうか、今号はパブロ・ピカソの中から掲載しました。慌ただしい日々の合間に、ピカソの画に溢れる静けさをあじわって戴ければと思いました。
初秋の頃に仕事と研修とが重なることになり1カ月の予定で再びドイツの地を踏みます。 今だから出来る24年間の恩返しをしておきたい想いで、余暇には時間の許す限りをかの地でメンターとして過ごす予定です。
猛暑の季節がやってきました。御家族の皆様共々にくれぐれもご慈愛下さい。
次号は12月05日締切、2014年(平成26年)1月発行予定、タイトルは自由です。 お好みのタイトルでお書きください。タイトルに合う絵や写真も大歓迎です。
考えることは面倒、と渋っていた主婦の方たちが、生涯塾では、生き易くなるために、苦難のなかにあるチャンスを見つけるために、毎日を歓びと共に生き抜くために、考えることを厭わなくなりました。気功太極拳と腹式呼吸も併せて、一所懸命に生きる喜びを学んでいます。
・・・u.yasui 記
深謝
【単価】
税込 ¥1050,−
【発行者】
安井 猛 (PhD)大学教授
日本ロゴセラピー&実存分析研究所・仙台 研究所所長
社団法人ドイツ国ロゴセラピー&実存分析協会(DGLE)公認ロゴセラピスト
ドイツプロテスタント教会・ヘッセンナッサウ(EKHN)認定パストラルケアラー
【住所】
〒980-0014
宮城県仙台市青葉区本町1-13-32(株)オーロラビル605